死刑囚のための教誨師を45年、務めてきたジョー・イングル氏(キリスト合同教会牧師、南部人権センター創設者)は、「死刑制度は死刑囚よりも私たちについて語る」と私は知るべきと指摘する。「レリジョン・ニュース・サービス」への寄稿。
私は1975年以来、南部の死刑囚と仕事をしてきた。死刑は、どのように取り繕っても野蛮な行為である。アラバマ州当局は、ケネス・スミスの最近の死刑執行で、窒素ガスの使用を未来の波として歓迎したが、目撃者の証言は異なっていた。
死刑執行方法を近代化する努力にもかかわらず、死刑の根底にある残虐性は変わっていない。いくつかの州の獣医師会が動物の安楽死のためには非合法としている薬物で、人間が殺されるとき、そのプロセスについて知る必要があるのは本当にそれだけだ。アラバマ州では窒素ガスを、テネシー州では臭化ベクロニウムを使用している。これらの薬物は、動物を殺すためには避けられるが、人間を殺すプロトコルでは州によって許可されている。
処刑薬の選択に内在するこのような倫理的矛盾は、システム全体にわたる重大な不正義とともに、私が「殺戮マシン」と呼ぶようになったものの道徳的破綻を浮き彫りにしている。
1982年12月7日、テキサス州ハンツビルで、米国初の致死注射による死刑が執行された。囚人の名前はチャーリー・ブルックス。私はその場にいたので覚えている。
死刑囚の牧師であった私は、死刑執行に先立ち、当時のビル・クレメンツ州知事と会うためにテキサスに飛び、その後、真夜中に州による殺人が行われる刑務所の外で、私の同僚が組織した抗議活動に参加した。
この新しい「医療モデル」の推進者たちは、致死注射が立会人や刑務官にとって苦痛のない、見た目のよいものであると思い描いていた。しかし実際には、フロリダ州の上院議員が後にこう語っている。「電気椅子でやる時のように彼らはバタついたり身もだえしたりしないので、死刑執行が楽になる」
反抗的でない見解のほうが、よりよい報道ができる。
徹夜祈祷が始まる前に地元のカフェに立ち寄ったところ、近くのテーブルに座っていた2人の白人男性が、今度の死刑執行について話し合っているのを耳にした。 「彼は簡単に旅立つのさ。この針ビジネスは、まさに死ぬのを楽にするものだよ」
「そうだ」と彼の仲間が答えた。「彼らは処刑されるべきだ」ブルックスめ、と人種差別的な中傷する不明瞭な言葉を使いながら、彼は言った。
近くの刑務所では、同僚と私はキャンドルナイト徹夜祈祷会を続けたが、私たちは一人ではなかった。数百人の群衆が集まり、ブルックスを殺せと叫び始めたのだ。歴史を知る南部人にとって、この集団はテキサス州、特にテキサス州東部を歴史的にリンチの先進地にしてきた暴徒を彷彿とさせるものだった。同州のこの地域は、死刑の判決を下すことにも先駆的だった。
暴徒は数時間続行した後、突然静かになった。私がロウソクから顔を上げると、ブルックスの家族が息子と弟との最後の別れのために、ゆっくりと、苦しそうに刑務所の階段を上っていくのが見えた。
公判廷はブルックスを殺人罪で有罪としたが、検察官はその後、誰が引き金を引いたのか疑わしいという理由で彼の死刑判決を減刑するよう要請し、ブルックスと、仮釈放の可能性がある40年の刑期で服役しているその相棒に下された判決との格差に「良心の呵責」を感じていると述べた。「テキサス州が間違った男を処刑したことは、想像するのも恐ろしいが、あり得ることだ」と検事は後に語った。
しかし、殺人マシーンを止めるには十分ではなかった。そして死刑執行当日、注射が始まってからの7分間、ブルックスはとてつもない苦しみの中にいたと目撃者は語っている。注射は思ったほどスムーズにいかず、「ラインに問題があった」と報告され、次の死刑執行では溶液がより希釈されることになった。当時、チャールズ・コルソンが『ワシントン・ポスト』紙に書いたように、「あの処刑は痛みがなかったわけではない」
今年の2月28日、アメリカではテキサス州のアイヴァン・カントゥとアイダホ州のトーマス・クリーチの2人の死刑執行が予定されていた。カントゥは無実を主張し、後に2人の重要証人の証言に嘘があったことが判明し、それがこの事件の何人かの陪審員の死刑宣告への懸念につながり陪審長は「私はアイヴァン・カントゥを死刑囚にする手助けをした。今となっては騙されたと思っている」と題したオピニオンコラムを書いている。だが、それが問題になることはなかった。またしてもテキサスは、カントゥが有罪であることに大きな疑問があるにもかかわらず、「医療モデル」によって恐ろしい死を遂げたことを確認したのである。
NPR(米国公共ラジオ放送)の調査によると、致死量の注射を受けた200人以上の剖検の結果、84%が肺水腫か溺死であった。さらに、医師たちは「多くの受刑者が適切な麻酔を受けておらず、そのために肺水腫によってもたらされる窒息感や溺死感を感じているという深刻な懸念を示している」とNPRは伝えている。
2月28日に行われたアイダホ州のクリーチ受刑者に対する2回目の致死注射は、受刑者が担架に縛り付けられた状態で静脈を見つけるのに8回失敗した後、中止された。弁護団は、「この死刑執行の大失敗は、州が人道的で合憲的な死刑執行を行えないことを証明している」と述べた。
一貫した死刑執行の失敗例は、死刑制度に内在する欠陥と非人道性を暴露し、その正当性と道徳的立場を損なっている。
4月4日、マイケル・スミスはオクラホマ州で致死注射により処刑された。彼はPCPを使用中に2人を殺害した罪で有罪判決を受け、その薬物の錯乱作用の下、警察に自白した。彼は知的障害があり、殺人の記憶がないと言った。そのような状況で死刑を執行して何が達成されるのか?
ブライアン・ドーシーは殺人罪で有罪判決を受け、4月9日にミズーリ州で死刑が執行された。彼は模範囚として知られていた。彼は所長の理髪師でもあり、60人ほどの矯正職員が彼の情状酌量を求めた。
私はテネシー州で、エド・ザゴルスキーとニック・サットンという、ドーシーのような資質を持った2人の男と一緒に働いていた。ザゴルスキーは35年間、懲戒処分を受けることなく刑務所で過ごした。南部で50年間刑務所ミニストリーをしてきたが、死刑囚がこのような状態にあるのを見たことがなかった。サットンについては見込みが的中した。裁判後、陪審員たちは、もしすべての事実を知っていたら、彼を生かしていただろうと述べた。そして、矯正員たちは彼が彼らの命を救ったという理由で情状酌量を依頼していた。彼は紛争解決コースを卒業し、調停者の資格を持っていたのだ。
ザゴルスキーもサットンも慈悲を受けなかった。彼らはテネシー州によって、正義とは無関係の本質的に政治的なプロセスで感電死させられたのだ。知事は恩赦を拒否することで、自分が犯罪に厳しいことを証明しているのがわかるだろう。それはこれが刑事法制度だからだ。起こっていることは犯罪だ。それは法律に基づく。そしてそれは体系化されたものなのだ。それは政治と殺人がすべてであり、正義に関することではない。
死刑囚のために45年間奉仕する中で、私は死刑囚が三つのカテゴリーに分類されることを知った。すなわち、真に殺人の罪を犯した者、明白に無実である者、そして真犯人が検察と司法取引を行い、共同被告人を巻き込んだ後に、死刑判決を受けた者(共同被告人)である。
法制度内の構造的不平等は、不公正の連鎖を永続させ、社会から疎外されたコミュニティに不釣り合いな影響を与え、公正と平等の原則を損なう。言い換えれば、死刑囚になるのは、最悪の犯罪を犯したからではなく、最悪の弁護士を雇ったからである。多くは良質の相談をする金銭的余裕がない。
南部全域で、私が出会った死刑囚はみな貧しい。さらに、全米で実施された20以上の調査でも、極端な人種差別は否定されていない。今あるのは、人種差別の犠牲となった貧しい人々を、死刑執行人の目の前まで送り届ける刑事法制度なのだ。
死刑に処された人々は、女性、男性、精神病患者、真に精神的に異常な人々である。彼らの多くは、トラウマや脳障害に苦しんでいる。しかし私は、それぞれが思いやり、心配り、共感に応えてくれることを知った。ほとんどの人が私の友人になってくれた。
私たちの刑事法制度は、彼らをクズの山に指定することを望んでいるが、私は、彼らが檻に閉じ込められた思慮深く、魅力的で、面白く、責任感のある人間であることを経験してきた。そして、そのような状況にもかかわらず、死刑囚たちは人間性を保っており、尊厳と思いやりをもって扱われるに値する。
一人ひとりが神の子であるという視点を失うと、私たちは互いにひどいことをしかねない。たしかに死刑囚の多くは殺人を犯しているが、私たちの誰もが、自分が犯した最悪の行為によって定義されるべきではないし、それによって人間性が罰として失われるべきでもない。
*近刊の回顧録『Too Close to the Flame:With the Condemned Inside the Southern KillingMachine』
(翻訳協力=中山信之)