Q.家の近くに教会がなく、一番近い教会でも3時間はかかります。高齢の身体に往復6時間はきついのですが、どうすればよいでしょうか?(80代・男性)
キリスト者が主日に集まって礼拝をささげることは教会の初期のころからの慣習です。それは好ましく喜ばしいことですが、しばしば誤解されているように、義務でも強制でもありません。片道3時間の道のりは、高齢の方だけでなく、若い人にも大変でしょう。もともと「安息」の日なのですから、無理を強いることは本旨に反するのではないかと思います。
日本人は律義ですから、一度決めた礼拝時間を一分でも遅れないようにと勤めますし、雨の日も風の日も頑張ります。それも信仰生活の守り方ですし、主に喜ばれることに違いありませんが、台風で警報が出ていても行くとか、病気を圧しても行くというのは行き過ぎではないでしょうか。
お尋ねの場合、神は教会の中だけにおられるのではなく、主日礼拝に出席しなければ滅びるということでもないと理解して、自宅で主の日を守るというのも一つの行き方だと思います。教会が近くにないことや高齢で大変だということはご自身の責任ではなく、むしろ神や教会の側の責任なのですから、あまり心を痛められないように。
近くに教会のない地域の場合、自分だけではなく、他にも礼拝出席に困難を覚えている方がおられるに違いありませんから、そういう方々で共に礼拝を守るというのも良いでしょう。なにしろキリスト者はだれもが祭司なのですから。
同じような問題は、体の不自由な方、小さなお子さんのいる方、家族の介護をしておられる方、高齢で一人暮らしの方、交通手段のない方などにも共通します。教会として(あるいは地域の諸教会が協力して)、巡回礼拝、放送礼拝、DVD礼拝などの便宜を提供して行く必要を感じます。
ユダヤ教の解釈では安息日に歩いてよい距離は約1キロ、歩いて15分です。今の日本では困難だとしても、教会が都市部に集中するのではなく、全体としての日本の教会の適正配置ということも考えなおす良い機会かもしれません。
さくらい・くにお 1947年、三重県生まれ。名古屋大学法学部卒業、同大学院博士課程(民法専攻)、東京基督神学校、米フラー神学大学大学院神学高等研究院(組織神学専攻)、高野山大学大学院(密教学専攻)を修了。日本長老教会神学教師、東京基督教大学特任教授。著書に『日本宣教と天皇制』『異教世界のキリスト教』(いずれもいのちのことば社)、『教会と宗教法人の法律』(キリスト新聞社)ほか多数。