2001年の「セクト規制法」制定以降、フランス社会の関心はイスラームに移り、「セクト」が話題になることは減った。だが、世紀転換期ほどではないにせよ、近頃は再び関心を集めつつある。
現在、フランスの国会では「セクト的逸脱に対する闘争を強化する法案」が審議されている。2024年2月14日には国民議会(下院)を通過した。本稿の執筆時点ではまだ審議の過程を残しているが、「セクト」対策の新展開を予感させる法案の行方は専門家に注目されている。
争点となっているのは「治療の放棄や拒否の教唆」罪を設ける第4条である。フランスではSNSの普及を背景に、一般的な医療を拒否するよう勧めたり、疑似科学による病気治しを謳ったりする事例(コロナ禍での陰謀論的な「反ワクチン」言説や、「レモン果汁で癌が治る」などの風説)が問題化している。国の対策機関MIVILUDES(セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部)も2022年11月に公開した報告書で、ネットを通して自らの考え方を広める「グル2.0」がコロナ禍の健康不安や孤独につけこみ、医療の拒否や非科学的な治療実践を勧めている、と警戒を呼びかけていた。こうした行為を禁じようというのが第4条である。
だが反対の声も少なくない。国務院は2023年11月、問題は既存の法律で解決可能だし、ネットなどでの発言自体を禁じることは表現の自由を侵しかねないとする意見を出した。これを踏まえ、元老院(上院)は翌月に第4条を法案から削除したが、国民議会ではこれを法案に加え直して審議がなされることになった。2月13日の審議では表現の自由を主張する野党の反発で一度否決されたが、与党が法案を修正の上審議のやり直しを求め、一部野党が賛成に回り14日にようやく採択されたという紆余曲折がある。
今回の法案が主に健康分野における疑似科学や陰謀論を問題にしていることは、フランスにおける「セクト」概念の拡散を物語る。かつての「セクト」は伝統宗教とは異なる小さな宗教団体や、社会に問題視される宗教団体を指す言葉だった。こうした用法が現在もあることは間違いない。だが「グル2.0」という新語が示すように、今では狭義の「宗教(団体)」だけでなく、SNSなどを介してネットに拡散した疑似科学や陰謀論も「セクト的逸脱」とみなされている。今回の法案は従来の「反セクト法」を補完し、こうした現代版の「セクト的逸脱」への対策強化を図るものと言える。
これはフランスの先進性と言えるだろうか。この点を考えるには、法案をもう少し長いスパンに位置付けてみる必要がある。フランスは厳格な政教分離の国とされがちだが、21世紀以降は政治が宗教に介入する動きが目立つ。「セクト規制法」や「スカーフ禁止法」のほかにも、2021年の「共和国原理尊重強化法」はイスラームに対する公権力の監視を強めつつ、「分離主義」(いわゆる「イスラーム過激派」)対策を強化しようとしたものである。ライシテは政治と宗教の「分離」から、政治による宗教の「管理」に変化してきている。これはライシテの「権威主義化」とも表現できる。
今回の法案がこの流れの延長線上にあるとすれば、評価はより難しくなる。「宗教リスク」に囚われた現代社会に求められるのは、被害の現実を例外とみなす楽観的な放任主義と、リスク対策の名のもとに自由の制限を正当化する強権的な権威主義を回避しながら、いかに自由で民主主義的な宗教政策を実現するのか、という極めて難しい舵かじ取りである。この課題を前にフランスは一つのモデルケースを示しているが、それを他の国がどのように参照すべきかは落ち着いて考えてみる必要がある。
田中浩喜(宗教情報リサーチセンター研究員)
たなか・ひろき 1992年奈良県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍中。論文に「『監視』と『利用』――第三共和政前期のフランス・リヨンにおける病院のライシテ化」(『上智ヨーロッパ研究』)、共訳書にJ.ボベロ・R.リオジエ『〈聖なる〉医療――フランスにおける病院のライシテ』(勁草書房)。