Q.神さまはなぜ人を「神の似姿」に創る必要があったのでしょうか?(60代・女性)
愛には計算がありません。神さまに必要だったから人を創ったのではないでしょう。神さまの愛が人を創らせたのです。
旧約聖書の創世記に天地創造の物語があります。第1章から第2章です。そこには二つの別の伝承を見ることができます。
地球の誕生は約四十数億年前、人類の誕生は約600万年前とも700万年前ともいわれています。旧約聖書に残されている伝承はこの人類誕生の初めからずっと言い伝えられてきたとは考えられません。が、おそらく、人類が自分を意識し始めて以来、「人とは何者か」という疑問はずっとあったのではないかと思います。今でもそうですが……。
創世記の伝承は神からの啓示として、世界の創造と人類の創造を語っています。私たち信仰者はそこに示されているメッセージを神からの啓示として受け止めます。「人とは何者か」という答えをそこに見るのです。
「神は人を自分のかたちに創造された。/神のかたちにこれを創造し/男と女に創造された」(創世記1章27節)
「神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった」(同2章7節)
愛である神は人を創らざるをえなかった、と考えるのはどうでしょうか。神が創られるのですから、創られたもの、被造物は創ったもの、創造者に似た者となるのです。
そういった意味では、神に似せて創られたものは人だけではありません。すべての被造物にはそこに神の「部分」を見ることができるのです。
先の聖書の伝承によれば、人だけが、その鼻に命の息を吹き入れられました。ふうーっと、神の息が! 人は神の息を吹き込まれて、生かされて、生きているのです。
罪によって死に渡されようとしている人間の魂が、イエス・キリストと聖霊によって再び生きるようになったのです。
やまもと・まこと 1953年福岡県生まれ。80年、カトリック司祭となる。81~85年、ローマ在住(教会法研究)。福岡教区事務局長、福岡カトリック神学院院長などを経て、カトリック西新教会主任司祭、