Q.洗礼を受けてキリスト者になりましたが、先祖は大事にしたいという思いが残っています。キリスト教とは相容れない考えでしょうか?(50代・男性)
先祖があってこそ、今の私が存在しています。先祖に感謝し、大切にするのは当たり前であり、素晴らしいことです。
カトリック教会では11月1日に「諸聖人」の祭日を祝い(一般に「万聖節」ともいわれています)、翌日の2日を「死者の記念日」として祝い、亡くなったすべての方の安息を祈ります。
キリスト教国でない日本では、あなたのように洗礼を受けた場合、または受ける前に大きな悩みとして死後の世界についての考えや祖先崇拝のことが生じてきます。キリスト者が他の宗教の死者に関する行事に参加することは、信仰に反するのではないかという疑問を持ったりもします。
カトリック教会では第二バチカン公会議に基づいて救いや信教の自由についての考えをはっきりと打ち出しました。ごく一部ですが引用します。
「……本人のがわに落ち度がないままに、キリストの福音ならびにその教会を知らないが、誠実な心をもって神を探し求め、また良心の命令を通して認められる神の意志を、恩恵の働きのもとに、行動によって実践しようと努めている人々は、永遠の救いに達することができる。……」(教会憲章16番)
私事になりますが、私の父方の家族にはキリスト者は一人もいません。先の教会の考えは先祖の救いに関して大きな慰めと希望を与えてくれました。
1985年に日本の「カトリック中央協議会」は「祖先と死者についてのカトリック信者の手引」を発行しました。それには「死者との交わり」「祖先との交わり」についての教会の考えが示されています。また、「祖先との交わり」をめぐる問題解決の実践的手引もあります。葬儀・命日・法事・お墓参り・お墓などに関することです。参考になさるといいと思います。
根本の教えは、すべての人は神から生まれ、神に帰るように呼ばれている、ということです。
やまもと・まこと 1953年福岡県生まれ。80年、カトリック司祭となる。81~85年、ローマ在住(教会法研究)。福岡教区事務局長、福岡カトリック神学院院長などを経て、カトリック西新教会主任司祭、