ここ数カ月、パレスチナのガザ地区に投下されたイスラエル軍の無差別な砲撃は、人工知能によるコンピューターシステムで実行されたという。人による判断ではなく、「AI」が無慈悲な殺害を行った。その武器システムの名はまさに「ゴスペル」すなわち「福音」という名で、子ども、女性、老人など数多くの市民が犠牲になった。「福音」という名が嘲弄(ちょうろう)されているのでは? ガザ地区からわずか70キロ離れたところが、イエスの誕生地として知られているベツレヘムである。赤ん坊イエスがこの地に降臨した時、ローマ帝国とヘロデの乳児虐殺、イエスのエジプト避難などの場面は、2000年が過ぎた今も繰り返されているようで、悲しいばかりだ。
このような無差別爆撃は、韓国のある有名俳優にも降りかかった。米国アカデミー作品賞を受賞した映画『パラサイト』としても有名な俳優の李善均(イ・ソンギュン、1975~2023年)氏がその対象だった。彼は麻薬投薬疑惑で立件され捜査を受けることになったが、数回の検査が行われすべて陰性判定であったにもかかわらず、「麻薬との戦争」という大統領指示の下で警察は繰り返し彼を召還し、執拗に追及し、関連のない個人的恥部を言論に露出させた。イメージが傷ついた彼は、数多くの広告と映画作品の契約が解約され、違約金だけで100億ウォン(約10億円)以上を支払わなければならない境遇に陥った。結局、去る12月27日、ソウルの野山の自動車の中で冷たくなった姿で発見された。
かつて朝鮮時代に芸術家たちは「クァンデ」(道化師、役者)と呼ばれ、「士農工商」の身分序列からも排除されるほど賤民(せんみん)として扱われた。韓国社会には依然としてその残滓(ざんし)が残っているように見える。エリート政治家たちは自分たちの失策と不正腐敗が非難を受ければ、問題を隠して市民の目を他の対象に向けさせるため常に芸能人の賭博、麻薬、不倫などの素材を前面に出して犠牲にする。韓国の現大統領と家族、政権与党と検察の無能と失策、犯罪疑惑などを隠すため、李氏はまたそのように犠牲になってしまった。韓国社会は彼の死を決して個人的、私的な死とは考えない。国家権力と腐敗したマスコミが共に他殺に追い込んだ社会的死と見ている。1月12日、奉俊昊(ポン・ジュノ)監督など数多くの芸術家たちは「故・李善均俳優の死に向き合う文化芸術家たちの要求声明書発表記者会見」を開催し、この問題を公論化している。
前述したように、このような風潮は朝鮮時代から妓生(キーセン)や道化師など芸術に従事する人々を見下した行動が、依然として公然と差別と階級意識として現代社会の中に残っている結果だ。たくさん学んだという既得権層は自分たちが窮地に追い込まれると「あの芸能人たちはそのように扱っても良い」という暗黙的蔑視の中で平然と彼らを排除する。
韓国初の近代式キリスト教学校である培材学堂では両班の子どもたちと平民、賤民の子どもたちが一緒に授業を受けた。そして両班の子どもたちに最初に求め、教えたことは「下人を帯同せずに登校すること」だった。そして、卑しく思っていた美術と音楽、体育、演劇を教え始めた。卑しい妓生と道化師たちが体を使って行っていたことを貴族の子どもたちもするよう指導した。それは革命だった。精神の革命であり、文化の革命だった。それは同時に芸術を業としていた賤民に対する解放宣言であり、真の福音と出会った感動でもあった。
パウロが「あなたがたが子であるゆえに、神は『アッバ、父よ』と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです。ですから、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。子であれば、神による相続人でもあるのです」(ガラテヤの信徒への手紙4:6~7)と宣言したように。
その後、韓国キリスト教の復興を導いた指導者の中には、南メソジスト教会のユ・ハンイク牧師など、道化師出身の人物が少なくない。彼らは福音を分かりやすく興味深く大衆に伝え、多くの人々にイエス·キリストの福音を悟らせた。日本も似たような方法で犠牲になる有名芸能人が多いようだ。彼らの苦痛がイエス・キリストの福音で癒やされ、慰められ、犠牲が出ないようにしなければならないという共通の課題がある。
ほん・いぴょ 1976年韓国江原道生まれ。延世大学大学院修了(神学博士)、京都大学大学院修了(文学博士)。基督教大韓監理会(KMC)牧師。2009年宣教師として渡日し、日本基督教団丹後宮津教会主任牧師などを経て、現在、山梨英和大学の宗教主任。専門は日韓キリスト教史。