ケーキを囲んで笑顔でポーズを決める家族、観光地での満面の笑顔の写真……。フェイスブックなどで伝えられる情報は断片でしかない。数回にわたって僕がここに記したことも同じかもしれない。苦闘している伝道者が記事を読んでも、こんな風にできないと思ってしまわれるかもしれないし、自分たちは駄目だと思ってしまうかもしれない。
しかし、実際には僕もあまりに積み重なった課題の多さに押しつぶされそうになったり、不安にさいなまれたりしている。教会のある町はひどく疲弊しているし、一人ひとりの教会員もまた苦難を抱えている。コロナ禍は10年後にはこうなるのではないかと恐れていた事態を、まるでタイムマシーンのごとくに招来させた。時を早めた。施設などに居住していた教会員は礼拝に来ることができなくなってしまったし、弱さの中に足が遠のいてしまったままの人もいる。こんな現実を前にして途方に暮れている……。
数カ月前に「キリスト教愛真高校」を末の子の保護者会のために訪ねた。内村鑑三の弟子である高橋三郎が、「人は何のために生きるのか」という主題を掲げて1988年に設立された学校である。日本一小さな全日制高等学校である。学校は島根県江津市の日本海の見える小さな山の中腹にある。現在の全校生徒は約40名ほどであり、定員に達していない。全寮制で二人一部屋、ゲームはもちろん、スマホも持たないで共同生活をする。実は洗濯機もなく手洗い、朝昼晩の食事作りまでも、大人の補助者があるものの子どもたちが担う。
さらに男女交際は禁止……。このようなことは決して強制ではなく、子どもたちの納得の上でずっと続けられている。教師たちの多くも敷地内に住み、子どもたちと共に歩む。末の子の1年生のクラスは10名。
この日の夜、食事会が行われ、余興として子どもたちがコーラスを歌い、バンドの演奏をしてくれた。外に出ると、満天の星が空に輝いていた。翌朝は日曜礼拝。礼拝後、一人ひとりの保護者が立ってあいさつをした。一人の方が言われた。「半年過ぎて、みんなの表情が大きく変わった。私たち保護者は、この学校で本当に良かったと何度も何度も飽きもしないで語り合っています(笑)」と。
本当にそうなのだ。表情に乏しかった子どもが明るい顔に変わった。何年ぶりに、この子のこんな笑顔を見るだろうかと思った。我が子だけではない。この学校の子どもたちは、大人にも自分の言葉でこちらをまっすぐに見て語りかけてくれる。もちろん軋轢を生み、悩むこともあるであろう。しかし、ここでは何か神の出来事が起こっている! それは自由と解放ということである。帰り道の車中、気づけば泣いていた。心が震えて、涙がこぼれてきて止まらなくなった。
保護者会の後半で、どうしたらこの学校のことを知ってもらえるだろうか、皆で真剣に語り合った。さまざまな意見が出たが、人里離れたこの学校のことを心からなんとかしようとしていることに僕は奇跡を見た気がする。
教会でも同じことが起こることを今、夢見ている。教会が宣べ伝えるイエス・キリスト、その福音は人に自由と解放を与える。この世の呪縛から、私たちを解き放つ力を持つ。ここで出来事が起こされ、表情が変わる。その時に心から「なんとかしよう、なんとかしたい」と心からの声が上がる。そうありたいと願った。途方に暮れつつ小さな光を見た。
橋谷英徳
はしたに・ひでのり 1965年岡山県生まれ。神戸学院大学、神戸改革派神学校卒業後、日本キリスト改革派太田教会、伊丹教会を経て、関キリスト教会牧師。改革派神学校講師(牧会学)。趣味は登山、薪割り。共著に説教黙想アレテイア『エレミヤ書』他(日本キリスト教団出版局)。