「それで順調!」 橋谷英徳 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】

2010年8月、岐阜県関市にある教会の伝道者となった。ここに来る前に師に当たる牧師が、「大切な教会に行くことになったな」とポツリと言われたことが記憶に残る。

北海道に「べてるの家」(以下「べてる」)という、統合失調症を中心とした精神障害者の方たちがともに歩みを続ける生活共同体がある。ナチスのホロコーストから障害者たちを守った、ドイツのベテルの町がモデルとなっている。10年ほど前、この「べてる」を訪ねる旅をした。「べてるの理念」と呼ばれる短文のモットーがいくつかある。それは共同体の哲学を示していて、メンバーに共有される。ミーティングルームの壁にはお世辞にも上手とは言えないけれども実に味のある手書きの大きな字で、モットーが書かれた画用紙が幾枚も掲示されている。部屋は実に雑然としていて、まったく整理整頓されていない。しかし、不思議にも居心地が良い。その中でひと際目をひいたのは「それで順調!」ということばであった。これは、「べてる」の最上位に位置づけられる理念。これには次のような解説が付されていた。

「べてるは、いつも問題だらけ。今日も、明日も、あさっても、もしかしたら、ずっと問題だらけかもしれない。組織の運営や商売につきものの、人間関係のあつれきも日常的に起きてくる。しかし、非常手段ともいうべき『病気』という逃げ場から抜け出して、『具体的な暮らしの悩み』として問題を現実化したほうがいい。それを仲間どうしで共有しあい、その問題を生きぬくことを選択したほうがじつは生きやすい。べてるが学んできたのはこのことである。だから、苦労があればあるほどみんなでこう言う。『それで順調!』と」。

「べてる」を訪問し、この言葉を知って心が震えた。何かしらの問題が起こることは災いでしかなく、問題をなくすことこそ自分の務め、責任と思っていた。しかし、その方向性はどうも違っているのではないか……。何らかの挑戦をすれば、そこには必ず数々の問題が起こってくる。教会が本当に開かれた教会となり、多種多様な人たちがそこに集うなら、そこは問題だらけの場所となる。問題のない無風の教会より、風が吹き込む教会でありたい……。それで悩むことがあったとしてもよい。「それで順調!」と言いながら歩みたい。今は本気でそう思っている。

ところで、「べてる」は北海道の浦河町、人口約1万2000人の町に1984年に設立された。停留所を降りるとほとんど人影もなく、寂しかったことを今でも覚えている。ここから何かが始まる場所だとは、とても思えないような地であった。設立以来、「べてる」は大きな影響をさまざまな人たちに与えてきた。取材を続けてきたジャーナリストの中には「べてる」に心を打たれ、移り住んでしまった人までいる。海外からも見学者が絶えない。福祉系の大学でも「べてる」について学ぶのは常識となっている。

教会史上の重大な出来事、宗教改革や信仰復興運動などは必ずしも大都市が舞台とはなっていない。地方、田舎、否、辺境と呼ばれる地での信仰による挑戦が意味を持ってきた。つまり、極めて地方の教会は大切なのである。そもそも聖書がそのことを語っているのではないか。キリストの福音は、「異邦人のガリラヤ」(マタイ4:4)から始まったではないか。「それで順調!」という言葉を心に刻みつつ挑戦を厭(いと)わぬ歩みを続けたい。

橋谷英徳
 はしたに・ひでのり 1965年岡山県生まれ。神戸学院大学、神戸改革派神学校卒業後、日本キリスト改革派太田教会、伊丹教会を経て、関キリスト教会牧師。改革派神学校講師(牧会学)。趣味は登山、薪割り。共著に説教黙想アレテイア『エレミヤ書』他(日本キリスト教団出版局)。

【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 なんでもやってみよう 橋谷英徳 2023年4月21日

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