1989年6月4日の天安門事件から34周年を前にした6月3日、香港のキリスト教新聞「時代論壇」(Christian Times)の一面広告に、同事件を追悼記念する祈祷文(全文は下記参照)とそれに賛同する360人の賛同者名が掲載された。賛同者リストには、すでに海外に移住している牧師・信徒のほか、なおも香港に留まっている著名な牧師・神学者の名前も多数見受けられる。
中国大陸では公の場ではタブー視されている天安門事件だが、香港では同事件発生以来、毎年大規模な追悼集会が開催されてきた。しかし、2020年の「香港国家安全維持法」(国安法)の施行により言論・集会の自由が大きく制限され、追悼集会を主催していた民主派団体もすでに解散しており、香港では公に同事件を記念する追悼集会を開催することが難しくなってきている。そうした状況下にあってもなお、360人もの賛同者の氏名と共に追悼記念祈祷文が公にされたことは、注目に値する。このほか、香港合同メソジスト教会の社会問題小委員会が同事件を覚える内容の祈祷会を開催したり、中華基督教会香港区会の社会問題小委員会が祈祷文を発表したりしている。
同事件の追悼祈祷文を公にすることにはリスクが伴うように思われるが、「時代論壇」の報道によると、賛同者の一人、王家輝牧師(中華基督教会香港区会総幹事、香港キリスト教協議会議長、WCC中央委員)は、「祈りはキリスト者の生活の一部であり、祈祷文の内容に賛同する人であれば誰でも賛同署名に参加できる。このことは、いかなる法律にも抵触しておらず、特にリスクがあるとは思わない」と述べている。また、蘆龍光牧師(香港合同メソジスト教会・元会長)は、「天安門事件を記念することは、現在の香港の法律に基づいて完全に合法的であり、愛国愛港〔国家を愛し、香港を愛する〕原則にも合致している」と述べている。
その一方で、こうした天安門事件を追悼記念する祈祷文への署名には一定のリスクが伴うことを踏まえた上で署名をした人々もおり、例えば馮智活牧師(香港聖公会)は、「国安法の適用範囲は非常に広いため、どのような形式や表現であっても、各自それぞれに〔リスクを〕考慮しなければならない。……無駄な犠牲を払う必要はないが、しかし怖がり過ぎて何もしないということもよろしくない」と述べている。羅慶才牧師(香港バプテスト連盟・元会長)は、同祈祷文への署名は個人の自由を行使する機会であり、「記念することは忘却しないということだ。もし忘却してしまうならば、あの時の犠牲者の犠牲が無駄になってしまう」と述べている。
(報告=松谷曄介)
天安門事件34周年・追悼記念祈祷文
祈祷題:天地に主あり、人の世に言(ことば)あり。愛の内に恐れなし、共に歩み続けん。(原題:天地有主人間道,愛中無懼續同行)
「主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。山々が生まれる前から 大地が、人の世が、生み出される前から世々とこしえに、あなたは神」詩編90編1~2節(新共同訳)
天地万物の創造主であり、人類の歴史を支配される三位一体の神よ。
悲しみと不安の6月の日〔訳注:天安門事件の6月4日を指す〕に、私たちはあなたに向かい声を上げて祈りを捧げます。
あなたは洪水の上にも王座を置かれる〔詩編29編10節〕ことを、私たちは確信しています。
世界がどのように揺れ動こうとも、時代が私たちの手の届かない所でどのように変わろうとも、私たちがしっかりと〔あなたに〕従い信頼するならば、あなたは小さい貧しきこの世とそこに生きる人々をお見捨てになることはありません。
34年間の歴史の傷は、時間の経過とともに薄れ、上からの圧力により忘れ去られてしまいそうですが、それでも私たちは、〔あの日を〕覚え続け、追悼し続けます。
あなたの御目には、千年も昨日のように過ぎ去ります。
有限で傲慢な人間に、主のご計画と御業のすばらしさを、捉え切ることなどできるものでしょうか。
どうか私たちが常に謙遜に〔あなたを〕仰ぎ見、過ぎ行く年月を正しく数え、知恵ある心を得ることができますように。
私たちの手の働きを、どうか確かなものとしてください。
「主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして、貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために。主が恵みをお与えになる年、わたしたちの神が報復される日を告知し、嘆いている人々を慰める」(イザヤ書61章1節)
主よ、世論が揺れ動き、世の中がひっくり返るような中にあって、人々は心に疑いや恐れを抱いています。
私たちの真の慰めと力は、必ずや聖書の光と約束からもたらされます。
旧約聖書の預言者イザヤは、救い主の到来を予言しました。
〔救い主は〕聖霊によって油注がれ、地上のすべての道を歩み、すべての悲しみをその肩に担ってくださいました。
十字架の道は、苦しみから祝福に至るものです。
絶望するところに、永遠の希望がもたらされます。
どうか私たちが苦難の日にも怠らず、諦めることがないようにお導きください。
己の安定や安逸を求めることなく、貧しき人々、投獄されている人々を見守り、光なき人々、圧迫されている人々に喜びの知らせを届けることができますように。
天安門事件〔六四〕の傷の中で苦しむ人々と共に「死の陰の谷」〔詩編23編4節〕を歩むことができますように。
主が備え、受け入れてくださる恵みの年を告げ知らせ、イエス・キリストの変わることなき約束を確かなものとすることができますように。
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです」(ヨハネの手紙一4章18節)
主よ、私たちは、現代の歪んだ政治、社会における均衡の喪失、海外移民といった現実があることを認識しなければなりませんが、これらのことは、私たちに恐れをもたらします。
しかし、教会は燃え盛る炎のような試練を通してのみ、精錬された混じりけのない金のようになることができます。
どのような状況においても、私たちが信仰的誠実さを保つことができますように。
私たちの最大の力は、互いに愛し合い、愛の絆で結ばれていることです。
主よ、より大きな信仰と勇気を私たちに与えてくださり、恐れを抱くことなく、冷静に変化に対応することができるようにしてください。
愛の内に絶えず成長し、学び、心くじけることなく正義を行うことができますように。
静かき河の底で水が力強く流れ続けるように、私たちが公平さ守り続けることができますように。
愛の力と実践のみが、歴史の悲しみを真に解決することができます。
最も危険な裂け目を越えて行く時、罪からくる恐れと不安が湧き上がってきますが、主の恵みによる大いなる愛を受け入れることによってのみ、あらゆる罪は洗い流され、世界と人々に真の平和がもたらされます。
「慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけする」〔詩編85編11節〕と聖書に書かれている通りです。
イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
(翻訳=松谷曄介)