Q.教会主事が給料をもらっているのに、奉仕者が無報酬なのは不公平ではありませんか?(40代・女性)
「同一労働同一賃金」というのが我が労働基準法の大原則です。国籍・信条・身分を問わず(第3条)男女を問わず(第4条)労働者は同じ労働に対しては同じ賃金を受け取る権利があり、差別があってはなりません。
これに一見反すると思われる聖書の箇所が例のぶどう園の労働者の譬え話です。夜明けから1日汗水垂らして働いた労働者と夕方1時間だけ働いた労働者が同じ1デナリオンを受け取るという話です。確かに時間給にすると最大10倍くらいの差があります。これは差別でしょうか。
差別とは、合理的な理由がないのに不利な扱いをすることです。1デナリオンが1日の労働の対価として正当であるとすれば、主人が言うように「約束どおり」であり、だれにも不利益は与えていません。働かない時間の分まで支払ってもらった労働者は、労働の対価に、「恩恵」を付加してもらったと考えることもできます。
それと、旧約のレビ人です。どういう事情か興味深いのですが、彼らは他の部族のように嗣業を持たない代わりに直接神に仕え、ささげものから必要を満たすことが認められています。
これらを総合すると、対価を支払ってもらうことがその人が生きるために必要であれば献金からであれ支払いを求めていいし、他方、十分な収入があるなら喜んで無償で奉仕するということではないでしょうか。
労働基準法の第1条には「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を満たすべきものでなければならない」とあります。これがこの法律の基本的思想です。先のぶどう園の主人はこの法律の本質を実現したのだとも言えましょう。
ですから、仮に「教会主事」でなくても、学生その他生活のために必要な人には、教会は柔軟に相当なアルバイト料を払っていいと考えます。職業は直接たると間接たるとを問わず神に仕えるものであり、どこからであれ、すべて必要を満たすためのものは神からの賜物です。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
おおしま・ゆきこ 弁護士。1952年東京生まれ。72年受洗。中央大学法学部卒業。84年に千葉県弁護士会へ登録。渥美雅子法律事務所勤務を経て、89年に大島有紀子法律事務所主宰となり現在に至る。日本基督教団本所緑星教会員。