石はときに考え、ときに語る。実際的に。多層的に。
「私は石を考えさせることすらできる」とクールベが語ったとき、技量を誇る彼の戯言と受けとるのはだから、聞く側の世界観の反映でしかない。こちらを見つめる肖像画のモデルと同様の真実性を実際に、描く岩石のうちへクールベが見出していたとしても不思議はない。
石や岩は古来より、樹木や河川と並び神的存在の依り代とされてきた。巨岩の体温をいたわるかのように布を巻き、装いを施し、飾り奉る精神は日本の場合、今日も町かどの“お地蔵さま”や、魔を封じる性格をもつ鬼瓦などの内に脈々と息づいている。その精神は石工のうちにも自ずと宿り、古墳の石室や磨崖仏の時代から近世まで長らく受け継がれ、鉄道の到来により明治時代、たとえば宇都宮において石材業は一帯の基幹産業へと成長した。
栃木県宇都宮市の街なかにたつ、いずれも関東大震災後の復興ムードのなか聖別された石造りの教会聖堂をめぐる展覧会《二つの教会をめぐる石の物語》が、宇都宮美術館にて現在開催されている。明治以降の日本における教会建築受容の系譜を踏まえた展示はその一方で、近年発見された青焼の設計図群や精巧な縮減模型などを交えた本格的な建築展の水準に達しており、同時に産業としての大谷石採掘の歴史や宇都宮地誌への関心にも応える多面的なものとなっている。
カトリック松が峰教会聖堂。
1932年に聖別されたロマネスク様式の双塔(冒頭右図)は、商業施設の建て込む宇都宮市中心部にあって今日もなおその威容から、固有の磁場を近隣区画へ放っている。設計者はチューリッヒ出身の建築家マックス・ヒンデルであり、いわゆる「お雇い外国人」の系譜に属する彼は16年に及んだ日本在住期に多くの建築へ携わった。カトリック聖堂の建築にも多く関わったヒンデルが設計の際に重要視したのは土地土地に固有の地域性であり、たとえば金沢の聖霊修道院聖堂では内部のアーチを支える列柱へ黒漆の塗りを施したが、松が峰教会聖堂では同じ箇所が宇都宮名産の大谷石へと精確に置き換わっている(上図)。あたかも南蛮の気風を採り入れた武家屋敷かのような趣きを具える金沢のそれに対し、宇都宮の聖堂においては等間隔で並ぶ列柱が揃って同じ高さまで粗い肌目を露わとすることで、半ば洞窟寺院のように涼しげな風光を漂わせている。
日本聖公会 宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂。
1933年聖別の、上林敬吉設計による本教会建築は、同じ大谷石を主な建材としながらも優美なロマネスクを基調とする松が峰教会に対し、がっしりとして質実な厳粛さをもつゴシック・リヴァイヴァル様式をとり対照性を際立たせている(上図)。また大谷石それ自体の質感を活かすため、中世欧州に遡るゴシック大聖堂群の凝縮的で細密な装飾とは真逆の、英国近代に研磨されたリヴァイヴァル様式ならではの端正さが強調された。ここには過度の重々しさを嫌う聖公会建築に固有の美意識も看取され、高崎聖オーガスチン教会礼拝堂や浦和諸聖徒教会二代礼拝堂など、上林が携わった他の聖公会聖堂との影響関係が興味深い。
宇都宮にたつこれら二つの教会堂を比較したときまず興味深いのは、ともに地元の名産である大谷石を主な建材とし、築90年を迎えるほぼ同時期の竣工ながらも、幾つかの点で際立つコントラストを描いている点だ。たとえば上述したように、カトリック松が峰教会聖堂の設計が海を越え技能を持ち込んだマックス・ヒンデルであるのに対し、宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂は専ら日本国内の建築事務所で知識技術を会得した信徒建築家・上林敬吉の設計によること。そして建築様式としても、優美なロマネスク様式を主調とするカトリック松が峰教会聖堂と、直線的で堅固な印象を深めるゴシック調の宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂とが具える鋭い対照性は、日本における教会建築の展開を概観するうえで鮮やかな比較事例となっている。
この「同時期竣工」「同建材使用」でありながら二者が浮きあがらせる対照性こそ展覧会《二つの教会をめぐる石の物語》の肝であり、一方にはヒンデルがロマネスク様式を選びとる基底に、国内のカトリック受容とも結びつく信仰的感性の変遷する様が看てとれ、かたや「ゴシック・リヴァイヴァルの伝統」とでも言うべき聖公会建築ならではの歴史文脈が読みとれる。明治期以来、各々異なる道筋を経て宇都宮へもたらされた「神の家」の物理的な顕れとしての両教会建築が、大谷石建材という一点において交わるこの構図は興味深い。
いずれの教会堂も宇都宮市街地にあり、市郊外の宇都宮美術館と併せ日帰りでめぐることも難しくない。とりわけ、市街中心部にたちアクセスの容易なカトリック松が峰教会聖堂の威容は一見に値する。大谷石で全壁面を覆われた双塔の放つ存在感は、敷地を接する東武宇都宮駅のプラットフォームを今日も支える石垣の大谷石とも呼応して、21世紀現代日本の軽佻で金太郎飴のような都市景観に重りのような安定感と個性をもたらしている。
また宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂(内部を見学するには事前の申込みが必要)の、物理サイズとしては松が峰教会聖堂を遥かに下回る規模ながら、聖堂を前にした時のどっしりとした存在感において拮抗する様には感心させられる。住宅地を歩くうち不意にこの聖公会聖堂が姿を現したときの鮮烈な印象は、違和感というよりも唐突に古い寺社へ遭遇した際の自然な驚きにずっと近い。まさにこの自然さこそ、市中の松が峰教会聖堂がもつ安定感と同じく、ひとえに人と大谷石とが長い時をかけ育んだ関係性によるのだろう。神の家としてのニ教会の主要建材として選ばれた大谷石が、この21世紀まで難なく宇都宮の地へ馴染んできたことの下地に、このような土地と人間、自然と精神の連環を捉える視点はしかし、今日あまりにも見過ごされている。
《二つの教会をめぐる石の物語》でもう一つ特筆すべきなのは、同タイトルの出版物である。展覧会には付き物のカタログ/図録として編集された本書は同時に、独立した一冊の書籍としての質も極めて高い。日本の教会建築は、江戸の禁制が解けたのを契機に一斉導入されたため、欧州周辺で千数百年をかけた様式展開が同時に到来するよく言えば絢爛、悪く言えば雑多な分布を示している。そこを整理分類するならどうしても属人的/属教派的にならざるを得ず、各論言及する書籍や半ば旅行ガイド然としたグラビア本は多いものの、全体を理論的な視座のもと概観する著作は驚くほど稀である。本書が素晴らしいのは宇都宮の二教会を軸とする主論考の基盤を、全国各地の教会へ自ら足を運んで書き溜めた文章群が支えている点である。
学芸員といえば美術館の展覧会を企画し、収蔵品を管理する職種とのみ捉えられ、その研究職としての側面は文化行政の観点からさえ看過されがちだ。しかしながら本展および本書籍の達成は、宇都宮市制100周年を記念して1997年に開館した宇都宮美術館が、既存の栃木県立美術館との棲み分ける中で焦点化してきた大谷石産業という大テーマを、空襲さえ生き延びて市内に現存する二つの教会へ集約する形で結実させた、まさに象徴的な達成といって良い。この開館25周年を記念するに相応しい事業へその当初から傾注し、研究を深められた本展覧会担当の橋本優子さんをはじめとする所属学芸員の功績は特筆に値する。それは石からのささやきへ耳を傾けつづけた四半世紀の結晶だとも言い換えられよう。
どんなに未熟であるにせよ、心情を抱えまなざしを放つのであれば、見えるものは見える。それら目に映るものの中で、何が真であるわけでも、どれが確実なわけでもないだろう。ただ人は、瞳に映るものをどう受け入れるのか。瞳を通しその心へと入り込んでくるものに、どう応えるのか。見ることは、目に映してきた光景や、蓄積してきたイメージの総体が織り成す、無時間的で多層的な営みである。したがってある時代、ある地域において当然のごとくに要請される固着したイメージへ反旗を翻す精神、そこのみに別様の視線を注ぐ石がなかったと誰に断言できるはずもなく、私は私なりのやり方で、存分にこの世界を見、そのなかにある私を見る。そうした見ることの集積が私の世界を形作り、私自身の一部となってゆく。
二教会の尖塔頂部へ組み込まれた石は見てきた。まだ己に匹敵する高さをもつ建物など周囲に皆無であった戦前から、宇都宮市街を寡黙に睥睨してきた。石材運搬のため鉄道網が拡張され、街は栄え、B-29重爆撃機133機の襲来で空が灼ける様を。新幹線が開通し、通勤電車に人々が揉まれ、鉄筋建築が並びたつ光景を。巨視的にみれば都市はアメーバ細胞からなる粘菌のようなもので、地を這う人間という微生物群の分泌するアメーバ状生成物の触手は過去500年ほどをかけ飛躍的に進化し拡大をつづけ、周囲の山野を呑み込んできた。もはや人は原始の姿から遠く、神聖さは土地から切り離されて久しい。ゆく川の流れは岩を砕き、石の塊を低地へと押し流す。二教会の尖塔頂部をなす大谷石もまたそのように、自然の流れの一環として地中より伐り出され、市街を見渡す塔の頂きへと運ばれ、そこからさらに90年の時を眼差している。聴きとる構えをとる心にのみ、ささやきは幽かに訪れる。そこでは沈黙こそに意味が生じる。ゆえにこそ、祈りの場にふさわしい。
(ライター 藤本徹)
《二つの教会をめぐる石の物語》宇都宮美術館開館25周年記念展
公式サイト:https://church2023.jp/
宇都宮美術館(栃木県宇都宮市長岡町1077)
4月16日(日)まで/9時半~17時(入館は16時半まで)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は翌日)
観覧料:一般310円/大学生・高校生210円/中学生・小学生100円
問合せ:Tel 028-643-0100(宇都宮美術館)
【参考文献】
宇都宮美術館 編 『石の街うつのみや 大谷石をめぐる近代建築と地域文化』 宇都宮美術館
宇都宮美術館 編 『二つの教会をめぐる石の物語』 宇都宮美術館 下野新聞社
アニー・ディラード 『石に話すことを教える』 内田美恵訳 めるくまーる
【関連過去記事】
【本稿筆者による関連ツイート】
立教学院諸聖徒礼拝堂、取材了。先週の立教女学院聖マーガレット教会ともども、大変良いお話をお聴かせいただきました。日本の教会建築を考える試みが、当初の想定よりずっと深い奥行きを見せてくれることに、2年目にして今更驚きつつもあり。
心辺せわしない間こそ、淡々と足を動かし続けるのが吉と pic.twitter.com/9cwQzJFcPV
— pherim (@pherim) September 6, 2018
カトリック幟町教会世界平和記念聖堂、広島。1954年竣工、村野藤吾設計。三廊式バシリカの伝統様式を基本としつつ、内外観ともに矩形への意識が特徴的。原爆により消失した幟町天主公教会に代わり、世界各地からの浄財等により建設。[続]※訪問日曇天&堂内撮影禁止の為以下画像Web上より拾得 pic.twitter.com/SVSnfX6sUl
— pherim (@pherim) October 31, 2016