一般に日本語で信仰と言えば、神仏を信じて崇めることといった意味合いで捉えられる。イスラームにおいて「信仰」にあたる語はアラビア語の「イーマーン」だが、通常この語はもっと広い意味で理解される。
「イーマーン」は心の中の内的世界だけに留まることがない。むしろ信仰を外的世界に向けて表現し、実践するというところまでが「イーマーン」に含まれる。「イーマーン」は神学書などでは、「心で信じ、口で語り、体で実践するもの」といった定義づけをされている。イスラームにおける信仰は個人の内面やモスクの中といった狭い空間を越え、日常生活の中で積極的に発出していくことが求められている。
ムハンマドが、信仰について語ったこのような言葉がある。「信仰は六十数本、または七十数本の枝に分かれている。その最高のものが『ラーイラーハ・イッラッラー(アッラー以外に崇拝すべきものはなし)』であり、最低のものが道路から有害な物を取り除くこと。そして羞恥心は信仰の一部である」
この数十本の「信仰の枝」については、ムハンマドによって詳細な説明がされなかった。しかしある種のムスリム学者らは、この「信仰の枝」の特定と研究において努力を重ねてきた。そのうちの一人、現代でもイスラーム学の主要文献と見なされる複数の著作を遺しているバイハキー(1066年没)は、クルアーン(コーラン)やハディース(ムハンマドの言行録)を手掛かりにして、その著「信仰の枝」の中で77の信仰の枝を数え上げ、各項目においてその特定に至った根拠と説明を施している。その筆頭では六信五行が真っ先に取り上げられているが、普通の日本人が「信仰」と聞いて直接連想しにくいような物事も数多く収録されている。
例えば、信仰の枝の第17番「知識を求めること」、第18番「知識を広めること」。「知識を求めることは信仰者男女にとっての義務である」というムハンマドの有名なハディースがあるが、この言葉も著者によってここで引用されている。イスラーム世界の一部で女性の教育機会が奪われているという事実は、決して本来の教義に基づいたものではない。
第34番「不必要なことから口を慎むこと」、第44番「他人の尊厳を害することの禁止と、陰口の回避」。自戒も含めてだが、これもなかなか現実に守ることが難しい、しかし重要な「信仰」実践の一つだ。
第40番目の信仰の枝は、「衣服・装飾・容器などで禁じられているもの、忌避すべきものの回避」。つまりファッションやアクセサリーといったものに関してイスラームの教えに忠実であることも、信仰の一部だというのである。イスラームのファッションといえば女性のベールが真っ先に思い浮かぶが、しかし男性にも服装コードはあり、女性には合法でも男性には非合法なものもある。例えば金のアクセサリーや絹製の衣服がそうである。
このようにイスラームでは、「信仰」という概念の範疇が広く、しかもその教えは人間生活の大小のあらゆる分野にわたって網羅しているため、傍目には何かと「縛りが多い」印象が強い。信仰をどのように実践するかは最終的には個人の自由だが、しかし少なからぬ数の信徒はこの「縛りの多さ」をポジティブに捉えている。つまりその教えの一つひとつには意味があり、自分たちにとって「この世とあの世で成功するために必須の物事を詳細にわたってご教示いただいている」と、ありがたく捉える信徒が実際には多いのである。
さいーど・さとう・ゆういち 福島県生まれ。イスラーム改宗後、フランス、モーリタニア、サウジアラビアなどでアラビア語・イスラーム留学。サウジアラビア・イマーム大卒。複数のモスクでイマームや信徒の教化活動を行う一方、大学機関などでアラビア語講師も務める。サウジアラビア王国ファハド国王マディーナ・クルアーン印刷局クルアーン邦訳担当。一般社団法人ムスリム世界連盟日本支部文化アドバイザー。