10月末から11月初旬にかけて、第35回東京国際映画祭および第23回東京フィルメックスが開催された。両イベントで上映された新作の多くは、今後1、2年のうち日本全国へ配給される。国内の映画模様を見渡すうえで有効な指標となり得る点で、この併催は映画祭と名のつく他の数多い企画と性格を違えている。この数年はほぼ同時期・同地域開催となり毎年併せて百数十本を上映してきた両映画祭だが、コロナ禍中の臨時形態を余儀なくされた昨年一昨年と比べ、今回はほぼ平常開催へ復帰した。
今年の東京国際映画祭コンペティション部門グランプリは、ロドリゴ・ソロゴイェン監督作『ザ・ビースト』が受賞した。スペイン・ガリシア地方の山村へ移住してきたフランス人夫婦に対する、村の有力者兄弟からの嫌がらせが次第にエスカレートする様を描く本作は、「移民と暴力」という今日的テーマを極少の要素へと切り詰める。一方東京フィルメックスでは、インドネシアのマクバル・ムバラク監督作『自叙伝』がグランプリを獲得した。父のように慕う元将軍の暗黒面を知った青年の煩悶と決断を描く本作においては、人格者でさえ悪意の発露を押し留めがたい権力構造の陥穽が、老若の人間対峙を通し鋭利に伐りだされる。
排斥や虐殺の現代史が過去のものではなく、いつ暴発してもおかしくない因子として息づき継承されゆく光景の不穏さを両作は暗示するのだが、暴力を軸とするこの傾向が全体を見渡しても今年は殊に目立っていた。無論そこには、ロシアのウクライナ侵攻が色濃く影を落としている。資本経済の急速な発展下でもがくほど闇へ堕ちゆく実直な青年を主人公とするカザフスタンの名匠バイガジン作『ライフ』では、モスクや正教会が存在感を強める旧ソ連圏都市の渇いた人間群像が鮮烈に映しだされる。ロシアから記憶を失くして帰った父の言動に、新しい夫の元へ嫁いでいた母と息子とが翻弄されるキルギス映画『This Is What I Remember』では、記憶喪失の症状に人間の現在が象徴される。カンボジアの巨匠リティ・パン作『すべては大丈夫』は動物が人間を使役する世界の内で、ソ連期名作映画からの引用群を通しスターリンからポルポトへ至る圧政の現代史を寓話化する。東部ウクライナの凄惨な現状を映す重厚なドキュメンタリー『フリーダム・オン・ファイヤー』が緊急上映された銀座の会場では終幕後拍手が鳴り止まず、当のウクライナやロシアからの避難民と思われる観客たちからシュプレヒコールがあがり、肩を抱き合い慟哭する姿もみられた。
また今年の上映作の幾つかには共通して、登場人物の家の壁にあく大穴が存在感を放ったことも印象に強く残る。『クロンダイク』でウクライナ東部ドネツク地方に暮らす若い夫婦の家には友軍の誤射が放たれ、あいた大穴からはマレーシア航空の旅客機墜落現場からあがる火煙が遠く望める。『ヌズーフ/魂、水、人々の移動』では軍に封鎖されたダマスカスで、瓦礫化した家に残る意志の固い父と脱出を考え始める母の板挟みに遭う娘が、寝室の天井へ空いた穴から望む星空に心奪われる。そのようにして家族の日常へ、世界の今日景が突如侵入してくる。銀幕のようにその大穴が外界を映しだす。痴呆症となり団地の檻部屋へ住まわされる母を次男が草原の家へと連れ戻す内モンゴル映画『へその緒』では、トラック衝突による壁の破壊で生活の継続が不可能となった母子が、折り畳まれたゲルを持ちだしてより古い暮らしへの遡行を試みる。
これらのいずれにおいても、犠牲を払ってでも家に残ろうとする心の動きが描かれる。どうあっても離れたくないという心情。その表現は、馴染み親しんだ故郷を離れざるを得なかった人々へ捧げられた鎮魂歌のようにさえ響く。イランで20年の出国禁止を言い渡されたジャファル・パナヒ監督は、トルコ国境近くの村に滞在し、国境のトルコ側で進む新作撮影への指示をインターネット経由で行う。しかし回線は寸断されがちで、監督は部屋を歩き回り四方の窓や扉からルーターを持った腕を差しだすが、電波はなかなかつながらない。この『ノー・ベアーズ』撮影後の今年7月イラン政府に拘束され、今日現在も収監されているパナヒ監督の生存環境では逆に、いつまでも大穴があかない逼塞状況こそが痛烈に諷刺される。
最新の映画群はそのようにして、最新の社会を如実に映り込ませる。報道やSNSなどには為しがたい固有の解像度を以って、遠隔の人々へ理解と共感をもたらし得る。国際映画祭にまず求められる資質は従って、各地で陽の目をみる時機を待つ気鋭の新作に敏感な選択眼の確かさであり、地域の映画産業振興を優先する身振りは筋違いでしかない。すでに35回を迎える東京国際映画祭はここを長らく誤り、その規模と注目度において例えば後発の釜山国際映画祭にも遥かに水をあけられ、《Tokyo International Film Festival》の略称「TIFF」も国際的には専らトロント国際映画祭を指す現状を招いている。しかしこの状況を憂う是枝裕和監督らの声が、近年は形となりだした観もある。期間中に催された東京国際映画祭アンバサダー橋本愛との対談において是枝監督は、この種の映画祭主催イベントでは稀なほど斟酌のない舌鋒により、映画祭の形態のみならず映画界の労働環境問題という根本から問題視し、日本の遅れた現状へ重い苦言を呈した。
日本ではいまだ学生の文化祭のような徹夜労働を強いるノリが撮影現場では強制されがちだが、是枝監督は新作『ベイビー・ブローカー』で日本のそれとはあまりにも異なって成熟した韓国での映画製作を経験し驚いたとも強調する。また今年還暦を迎えた自身が韓国の映画業界では長老の扱いなのに対し、日本へ戻ってくるとむしろ中堅若手へ括られ世代交代が進まない現状への違和感も打ち明けた。橋本愛はこれを受け、子育て世代の母親が働きづらい日本の現場の問題点など、女性の立場から抱く違和感については今後も積極的に声を上げたいと応じた。忖度により身内批判があらかじめ封じられる日本社会に、こうして小さくとも風穴を開ける試みの為される場が維持されるなら、それでこそ映画表現と“祭”の本義は果たされる。今後へ大いに期待したい。
(ライター 藤本徹)
第35回東京国際映画祭
https://2022.tiff-jp.net/ja/
2022年10月24日~11月2日開催(日比谷/有楽町/銀座)
第23回東京フィルメックス
https://filmex.jp/2022/
2022年10月29日~11月6日開催(有楽町)
【本稿筆者による言及作品別ツイート】
『ザ・ビースト』“As bestas”
スペイン北部ガリシアの山村へ移住したフランス人夫婦への、隣人の嫌がらせエスカレートが止まらない。
有力者兄弟に結晶化された、村社会の理不尽な排斥熱描写が凄まじい、ピレネー国境への執着窺わせるロドリゴ・ソロゴイェン監督作。次はバスク/アンドラ物など期待。 https://t.co/vOi6j7Fbcj pic.twitter.com/GIhZ1WyWEy
— pherim⚓ (@pherim) November 9, 2022
『自叙伝』“Autobiography”🇮🇩
父のように慕う元将軍の暗黒面を知った青年の煩悶と決断。
雨中の葬列や露天掘り炭鉱の異景など、昏い画で魅せる巧さも具えたクライムノワール秀作で、権勢奮う元将軍との対峙描写へ凝縮された当世諷刺が物凄い。
マルリナ/復讐は神に~etc.🇮🇩ジャンル映画が熱すぎる。 https://t.co/uNPiBdzbSG pic.twitter.com/jI25T6Edet
— pherim⚓ (@pherim) November 4, 2022
『ライフ』“Жизнь”🇰🇿
妻の中絶意志を翻すため無理を重ねるキマジメ男、全てが裏目に出続け闇落ちる。
SEからCEOという奴隷へ、モスクから正教会へ。良識常識が宙吊り化した反世界に生きる人間群像鮮烈、現代諷刺も凄烈なエミール・バイガジン監督新作。
’14年極私Best『LIFE!』暗黒版の趣き最の高。 https://t.co/Ckr9CKGjo2 pic.twitter.com/476uteK3wK
— pherim⚓ (@pherim) October 27, 2022
“This Is What I Remember”🇰🇬
ロシアから記憶を失くした父が帰る。
新しい夫の元へ嫁いでいた母は激しく動揺する。記憶喪失に、キルギスの現在が象徴される。それは前作『馬を放つ』が夢みた解放より極度に哀しく、生臭く痛々しい。両作監督&主演アクタン・アリム・クバトの静かな憤怒が炸裂する。 https://t.co/GVSFCFDZqI pic.twitter.com/xRs2p7uRrI
— pherim⚓ (@pherim) October 30, 2022
『Next Sohee』
数値化された指標群に囲まれ、追いたてられ窒息する少女の悲しい選択。
学校も会社もどんな公的機関も見過ごす陥穽が少女を襲う。闇の奥を見据える刑事役ペ・ドゥナの燃える双眸に慄える。この大女優へ拮抗する新人キム・シウンの瑞々しさにも驚かされる。監督Q&Aがまた凄かった。(続 pic.twitter.com/UfDYIJStlj
— pherim⚓ (@pherim) November 2, 2022
『フリーダム・オン・ファイヤー』🇺🇦
Winter on Fireの監督新作。ロシア侵攻後🇺🇦東部のリアル。
時系列の極度に研ぎ澄まされた構成、TIFF公式日程にも非掲載の緊急上映作、終幕後の鳴り止まない拍手等々から、前回FILMeXの“時代革命”上映が想起される。局地的リアルから普遍へ迫る、本物の強度たち。 https://t.co/aFnOeNpAgd pic.twitter.com/LjEIgEB0rf
— pherim⚓ (@pherim) November 1, 2022
『ヌズーフ/魂、水、人々の移動』“Nezouh”🇸🇾
軍に封鎖されたダマスカスで、瓦礫化した家に残る意志の固い父と、脱出を考え始める母。
板挟みの娘は、寝室の天井へ空いた穴から望む星空に心奪われる。シリアの惨状映すドキュメンタリーが量産された歳月を経て、より心奥へ潜る潮流の深さと広がり。🐟 https://t.co/9xgIQZSIR5 pic.twitter.com/8VDmLB2yCp
— pherim⚓ (@pherim) October 24, 2022
『へその緒』“脐带”
内蒙古大草原を認知症の母が闊歩する。
団地内の檻部屋で暮らす母を、音楽家の次男が草原の家へ還す試み。🛖
母役に『大地と白い雲』(RT↓)の妻役が歳を重ねたような面影を感じ、切ない続編という心象さえ。乔思雪監督♀は1990年自治区生まれとあって、王瑞より近しく生々しい。 https://t.co/0gN7oQfhgw pic.twitter.com/uaynSJiqnT
— pherim⚓ (@pherim) October 26, 2022
穴のあく2022年。
TIFF4日目を終え、わが家の壁にあく大穴が存在感を放つ映画を3作鑑賞。
家族の日常に突如、世界の今日景が侵入する。銀幕のように外界が映り込む。
それでも家に残ろうとする心の動きが、どの作品にも描かれる。離れたくない。離れざるを得なかった人々への、鎮魂歌のようにさえ。 https://t.co/l2TAQ6GfOi pic.twitter.com/tKVm3loYOS
— pherim⚓ (@pherim) October 27, 2022
“No Bears”
出国禁止の続くジャファル・パナヒ監督が、🇮🇷/🇹🇷国境のトルコ側で撮影が進む自作の指示を、イラン側の村からネット経由で出す暮らし。
その光景に、因習と政治に阻まれた2組の悲恋が重なりゆく。今年7月に収監されたパナヒだけが為し得る、神懸かり的構成に息を呑む。圧倒的絶無の体感。 https://t.co/IjYETLTCqo pic.twitter.com/inVb6bqvB6
— pherim⚓ (@pherim) November 6, 2022
『ベイビー・ブローカー』
是枝裕和新作は、赤ちゃんポストの内から現代の亀裂を覗き込む。
母になれない女達、父になれない男達がたどりゆく道。
児童売買を明るくこなすソン・ガンホの凄演に、相棒役カン・ドンウォンや刑事役ペ・ドゥナらが拮抗しつつも濃密にどろり滴る是枝時空の温度が沁みる。 pic.twitter.com/smMUmodh5m
— pherim⚓ (@pherim) June 5, 2022
東京国際映画祭閉幕。
以下運営をめぐり、観客視点から気になったことを少し書き置きます。参考になればとの思いからで、disる意図は皆無です。総合的には満足のいく運営でした。
特に現場の若いスタッフやボランティアの皆さんには幾度も助けられました。感謝します。10日間おつかれさまでした。 pic.twitter.com/SfiBsmGkY2
— pherim⚓ (@pherim) November 3, 2022