【空想神学読本】 復讐する『プロミシング・ヤング・ウーマン』と復讐を禁じるキリスト教の狭間 河島文成

男性向け#MeToo映画

医学部に進学したキャシーは将来有望な若い女性(プロミシング・ヤング・ウーマン)だった。しかし30歳に近い今は、カフェでアルバイトをしながら実家でくすぶっている。夜な夜な街に繰り出しては、自分に手を出す男たちに制裁を加えながら。

本作のタイトル『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、2015年にスタンフォード大学で起きた性的暴行事件の加害者、ブロック・ターナーが将来有望な若い男性(プロミシング・ヤング・マン)と呼ばれたことの鏡写しに見える。加害者であるターナーは「将来があるから」と禁錮6カ月で済まされたが、被害者である女性の将来はさほど心配されなかった。この非対称性は本作にも反映されており、キャシーはこの差別構造に鉄槌を下す。

キャシーの親友ニーナは医学部の同級生アルにレイプされたが、警察にも大学にも相手にしてもらえなかったばかりか、悪徳弁護士に事件そのものを揉み消されてしまい、失意のまま自殺した。キャシーはニーナの復讐を誓い、医学部を辞め、男たちに制裁を加えるために夜な夜な街をさまよい始める。冒頭、酔い潰れた振りをするキャシーが十字架に磔(はりつけ)にされたポーズを取っているのは意図的な演出だ。復讐に身を捧げたキャシーはキャリアも人生も放棄しており、キリストと同じように死んだも同然なのだ。

しかし彼女の復讐は当初、アルたち加害者に直接向くのでなく、より広く「男性全般」に向いていた。これは加害者と直接対峙することの難しさ、心理的負担の大きさを示している。復讐に邁進するキャシーでさえ、直接関係者と対峙するのを何年も避けてきたのだ。自身の性被害を公表したジャーナリストの伊藤詩織さんが、被害(2015年)から公表(2017年)まで約2年を要したのも、公に加害者と対峙することがそれだけ大きな負担であり、大きな痛みを伴ったからではないだろうか。

終盤、キャシーの復讐は遂行されるが、彼女自身はそれを見ることができない。彼女に代わって復讐の最後の一手を担ったのは、過去の過ちを悔いた元悪徳弁護士のジョーダンだ。これは女性が1人で戦うことの困難さを表している(実際、アルの腕力にキャシーはなすすべがなかった)。女性差別という大きな構造を打ち破るには、男性側こそ立ち上がらなければならないのだ。

その意味で、本作は女性をエンパワメントする作品というより(むしろ女性にはショックが大きい内容かもしれない)、男性に現実を突きつけ、問題意識を持たせる作品といえる。

とはいえ、単純な男女二元論に落とし込まれてもいない。男性たちのホモソーシャルに同調し、そこに自ら組み込まれ、加害側に回った女性たち(本作ではマディソンやウォーカー学長)も、キャシーの復讐のターゲットとなるからだ。傍観者は誰であれ(男性であれ女性であれ)加害者だ、というメッセージがそこに明示されている。

キリスト教的価値観への挑戦

エメラルド・フェネル監督が明言しているように、キャシーは「復讐の天使」に位置付けられている。劇中、天井の円形照明がキャシーの頭に乗る天使の輪に見えたり、ベッドのヘッドボードがキャシーの背中に生える天使の羽根に見えたりするのはその象徴だ。

他にも、前述の通り磔のキリストのように見えたり、後光を放つ聖母マリアのように見えたりするシーンがある。どれもキリスト教を意識した構図だ。これらはキャシーをどこか(その破天荒な行動もあって)人間を越えた存在に見せている。聖書は「自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい」(ローマ人への手紙15章19節=新共同訳)と個人的な復讐を禁じているが、だからこそ、「復讐の天使」と化して人間を越えたキャシーの行動は、肯定されるのかもしれない。

しかし復讐を選んだキャシーが、自分の人生を放棄し、かつそこまで異質な存在として扱われなければならないのも理不尽な話だ。

実際、キャシーがやらなければ、誰がニーナの仇を取って不正を正したのだろうか。ブロック・ターナーは適切な裁きを受けたと言えるのだろうか。伊藤詩織さんが自ら行動するのでなく「神の怒りに任せ」たら、一体どんな結果になったのだろうか。この世界には悪が存在する。加害者をただ「ゆるす」のはキリスト教的「愛」でなく、「泣き寝入り」でしかない。人は時に自ら戦わなければならない。「愛とゆるし」を語り、復讐を禁じるキリスト教が問われる点だ。その意味でキャシーは、旧来のキリスト教的価値観にも挑戦したと言える。

色彩、音楽、配役の仕掛け

本作は一貫してカラフルな色彩とポップな音楽で飾られており、キャシーの世界は一見キラキラ輝いて見える。しかし蓋を開ければ残酷なもので満ちており、その陰鬱さ、理不尽さは後半に向けて加速していく。それは男性の目から見た表面的な女性の世界と、女性自身が経験するリアルな世界とのギャップを表しているのかもしれない。

配役にも皮肉が効いている。本作に登場する主だった男性役は、「紳士的な男性」のイメージが付いている俳優ばかりだ。彼らをあえて「酷い男」に配役することで、人が見た目や雰囲気では何一つ分からないことを印象付けている。

終盤、ブリトニー・スピアーズの『トキシック』がテンポを落とした不気味なアレンジで流れる。原曲は恋する女性が男性の魅力を「毒」に喩えて軽やかに歌うものだが、ここではまさに男性の毒性を強調しているように聞こえる。トキシック・マスキュリニティ(有害な男性性)という言葉と重なるのも、決して偶然ではないだろう。

(河島文成)

【作品情報】

キャシーは、ある事件で医大を中退し、今やカフェの店員として平凡な毎日を送っている。その一方、夜ごとバーで泥酔したフリをして、お持ち帰りオトコたちに裁きを下していた。ある日、大学時代のクラスメートで小児科医となったライアンがカフェを訪れる。この偶然の再会こそが、キャシーに恋ごころを目覚めさせ、同時に地獄のような悪夢へと連れ戻すことになる……。

アカデミー賞をはじめ、多くの脚本家賞を総なめにしたその刺激的すぎるストーリー。誰も見たことのないその内容に目が釘付けになること必至。いまだかつてないスリリングな復讐エンターテイメントが完成! 本作品は多くの映画評価サイトでも高得点を記録している。

■監督、製作、脚本:エメラルド・フェネル 
■キャスト:カサンドラ・トーマス、ライアン・クーパーほか
■製作:2020年、アメリカ

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