【Web連載】「14歳からのボンヘッファー 」(2)誘惑から守れ! 福島慎太郎

キリスト教では「主の祈り」という有名な祈りがある。これは聖書の中でイエス・キリストが弟子たちに教えたものだ。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝(なんじ)のものなればなり。
アーメン。

これは、ほとんどのキリスト教の礼拝で唱えられている祈りだ。その中でこんな言葉がある。

「我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ」

キリスト教の祈りは空想や抽象的な言葉ではなく、現実世界の出来事を的確に捉えている。この祈りもその一つだ。

「我らを試みにあわせず」、毎日だって祈りたいフレーズだ! 悪にあわない人生なんてどれだけ幸せなんだろう。僕たちには自分で対処できない苦しみがある。自分が予想も期待もしていないところから、「なんでこんな目に!?」ということがある。それと同時に聖書は「試み」、つまり誘惑もまたぼくたちを苦しめる原因だとハッキリ語っている。ならば自分で対処ができるこれを断ち切りたいところだ。

ボンヘッファーは人間には誘惑に対して抵抗する一つのパターンがあるという。それは「自分の力のみを頼りにする」「倫理的に正しく生きる」ことだと。確かにそうだと思う。この世界では神も仏も知らずとも上手く生きている人を見かける。また、自分の確固たる意思で生き方を貫いている人たちもいる。

だけど、ボンヘッファーは続けて言うんだ。「聖書全体が語っている誘惑とは、自分の力を試すこととは何の関わりもないのである」。最初にこの言葉を聞いたとき、「え?」と思った。「こういう誘惑にはこういう対処を……」「これが起こったらあれをすれば……」みたいな説明が来るのかと思ったら、「そもそもそういうことじゃない!」と言うのだ。では、誘惑とは何なのだろうか? ボンヘッファーはこう語る。「『私は、私のもつすべての力から見離されている。すべての人から見離され、神からも見離されている』というのがキリスト者に対する誘惑なのである」

僕たちは簡単に問題が解決できれば嬉しい。「ピッ」とボタンを押すように嫌なことが飛んでいってくれれば、それ以上望むことはない。しかし、現実はそうじゃない。むしろ、そんな考えこそ非現実的なんだろう。だからこそボンヘッファーは言うんだ。苦しみのとき、誘惑のとき、大切なのは、いま私が「誰といるか」ということだと。

僕たちは自分の人生がうまくいかないとき、そこでふと自分の声だけが聞こえてくるだろう。「どうせできない」とか「私には価値がないんだ」とか。また、自分の思いにだけ頼ることもあるだろう。「周りは幸せそうにヘラヘラ生きやがって」「誰も自分のことを愛してくれないからめちゃくちゃしてもいい」。僕自身もそうだ。人よりできないことが多すぎて、このまま生きてて大丈夫かとふと迷う。そして、そういうときは強烈に孤独を感じる。

しかし、それらはすべて間違いだ! とボンヘッファーは言う。なぜか。あなたの隣にはキリストがいるのだから。だから、あなたも覚えておいてほしい。あなたが一番誘惑に陥るとき、苦しいときほど神はあなたの隣にいるのだ!と。

孤独も絶望も、もうひとりで抱えなくていい。この人生での重荷を一緒に背負おうとしてくれる人がいる。

ふと、この言葉を聞いて安心する自分がいる。僕たちの家族や友人、別に彼らは悩みのすべてを解決してくれるわけじゃない。だけど、隣にいてくれるだけで安心する。キリストもそうなのかもしれない。「我らを試(こころ)みにあわせず、悪より救いいだしたまえ」。そう祈るよう教えてくれた人が、いま僕たちの隣にいる。いま、この人生を一緒に歩こうとしてくれている。どんなときでも、ひとりじゃないんだって思ったら、今日も少しだけ歩き出せそうだ。

今日、ぼくたちもさまざまな場所で生きている。楽しいこともあれば悲しいこともあるだろう。だけど何かが起こり、自分の足元が見えなくなりそうなときには、一緒にこう祈ろう。「我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ!」

 ふくしま・しんたろう 牧師を目指す神学生(プロテスタント・東京基督教大学大学院)。大阪生まれ。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝などの運営に携わる。同志社大学神学部で学んだ弟とともに、教団・教派の垣根を超えたエキュメニカル運動と社会で生きづらさを覚える人たちへの支援について日夜議論している。将来の夢は学童期の子どもたちへの支援と、ドイツの教会での牧師。趣味はヴァイオリン演奏とアイドル(つばきファクトリー)の応援。

【Web連載】「14歳からのボンヘッファー 」(1)こんな生き方もある 福島慎太郎

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