聖公会カンタベリー大主教によるエリザベス女王国葬における告別説教
2022年9月19日(意訳)*説教教原文はこちら
ジャスティン・ウェルビー大主教による聖書朗読
コリントの信徒への手紙一15章20~26節、53節から章末まで。続けて詩編42編1~7節、ヨハネによる福音書14章1~6節。
聖霊よ、来たりませ。
あなたの癒やしの愛の香油でわれらを満たしてください。アーメン
指導者の多くは、その生涯において高く評価され、その死後、忘却の彼方へと追いやられます。しかし、有名無名を問わず、また尊敬されたか否かを問わず、神のしもべにとって死とは栄光へと踏み出す扉です。
前陛下21歳の祝賀放送にて「私の生涯をこの国(英国)とコモンウェルス(連邦諸国)への奉仕に捧げます」と宣言されたことは、あまりにも有名です。
さらに、このような約束が破られることなく、守られ続ける様を見ることはなかなかありません。ほんのわずかな指導者だけが、本日皆さまがご覧になった、溢れるばかりの敬愛を受け取るに足るのです。
聖書によりますと、主イエスは、弟子たちにどのように従うべきかではなく、誰に従うべきかを教えて「私は道であり、真理であり、命である」と語ります。前陛下が示された模範は、その地位や大志によらず、まさしく誰に従うかによって示されたのです。新国王陛下が母エリザベス前女王陛下と同じく、イエス・キリストへの信仰と希望、奉仕と義務への使命を分かち合っておられることを、私は存じ上げております。
前陛下は1953年、まさに、その祭壇で、静かな祈りとともに戴冠式に臨まれました。人々が女王に忠誠を誓うよりも前に、前陛下による神への忠誠が誓われたのです。「仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来られた」キリストに従うこと、神ご自身に従うことにこそ、前陛下の基盤、この国とコモンウェルス、そして世界にあまねくある人々への奉仕の基盤があったのです。*1
どのような職業であれ、愛ある奉仕を行う人は、あまり見受けられません。いわんや、愛ある奉仕に生きる指導者は稀です。しかし権力と特権にしがみつく者が忘却の彼方に追いやられても、奉仕した者は愛され、記憶されるのです。
今日、この日の悲しみは王族各位にとどまらず、この国とコモンウェルス、全世界が感じていることでしょう。前陛下の豊かな人生と愛ある深い奉仕が、われわれから去ってしまったゆえの悼みです。前陛下は喜びにあふれ、多くの人に寄り添い、多くの人生に触れられた御方です。
遺族となったすべての家族のために、ことに前陛下の御遺族のために祈りましょう。愛する者を失い、深い悲しみのうちにある全世界の家族のために、ことに、いま耳目を集めるこの家族のために祈りましょう。神がその悲しみを癒し、この度、人生に刻まれた裂け目が、いのちと喜びの印となりますように。
コロナ禍におけるロックダウンの際、前陛下は希望の言葉であるヴェラ・リンの歌「またお会いしましょう」で演説放送を結ばれました。*2 キリスト教の希望とは、まだ見ぬものへの確実な期待を意味するからです。キリストは死からよみがえり、すべての人に命を与え、現在の豊かないのち、また永遠に神と共なる生を与えられました。クリスマスキャロルが語るように、「柔和な魂が受け入れるところに、愛するキリストが来る」のです。
われわれもまた神の慈悲深い裁きを仰ぐ日が来るでしょう。しかし、誰であれ、王でありながらしもべとしての生き方に徹した、前陛下の生と死に裏打ちされた希望を分かち合うことができるのです。人生における奉仕、死における希望。前陛下が御示しくださった模範に従い、神への信頼と信仰の促しを得た者はすべて、前陛下と共にこう述べることができるのです。
「またお会いましょう」
*1 マタイによる福音書20章28節、マルコによる福音書10章45節
*2 復活前主日2020年4月5日、イースターを1週間前に控えた日曜日の演説放送
【訳者解説】
ミュージカル曲のヴェラ・リン『we will meet again』は、第二次世界大戦中、英国軍兵士の間で人気を博した慰問の歌。故エリザベス女王は、戦時体制を取ったロックダウン下における再会への希望を重ねて、同曲を引用。女王の生涯と治世が第二次世界大戦からコロナ禍に及ぶこと、また「死からの甦り」というキリスト教的希望を想起させる点において、告別説教が「we will meet again」と結ばれたことは、まさに故エリザベス女王の葬儀にふさわしいと言える。なお女王は、イングランド国教会の首長。聖公会全体の首長ではない。
(翻訳=本紙関西研究室研究員・波勢邦生、協力=日本聖公会司祭・與賀田光嗣)
画像 引用元 https://twitter.com/JustinWelby/status/1571910765245865984