先日、2年半ぶりに成田空港から日本に入国した。日本の水際対策は先進国の中では最も厳しいのだが、それでも徐々に緩和され、一時期に比べれば手続きが比較的簡単になっている。とはいえ日本政府が設定する1日の入国者数制限もあり、航空券は入手しづらい。それに加えて世界各国の空港は、いわゆる「リベンジツアー」に繰り出す旅客の爆発的増加に対応できず、フライトのキャンセルや変更、荷物の積み残しで大混乱中である。さらに戦争によってロシア上空を飛べなくなったためルート変更を余儀なくされた航空会社の事情もあり、国をまたいだ移動は精神的にも体力的にもなかなか苛酷なものになっている。
「リベンジツアー」とは、コロナ禍による行動規制中自由に移動できなかった恨みを晴らすため、人々が旅行に出ることを指す。イスラエルのベングリオン空港は、まだ夏休みに入っていないにもかかわらずリベンジツアーに出るイスラエル人でごった返していた。コロナ禍の間に多くの人員を解雇したので、空港の機能が完全には回復していないのである。だが、そこに集う人々は海外旅行に出るという強い意志を持っているように見受けられた。
イスラエルでは現在オミクロン変異株感染者が増えており、専門家は引き続き注意が必要だと言ってはいる。だが、今年の春先からワクチンのブースター接種を済ませた人でも次々に感染した(イスラエルのブースター接種は1年前のことだった)。彼らが重症化せず回復したのを見て、多くの人、とりわけ若年層は「今度こそぜったいに旅行に出る」という心境になったのだ。私の周囲でも感染した人の方が未感染者(と言っても検査をしていないだけで本当のところは分からない)より多いぐらいである。
乗り継ぎのブリュッセルまでの便は、マスク義務がすでに撤廃されているため、客室乗務員は全員ノーマスクで仕事をしていた。旅客にはマスクをしている人もそうでない人もいた。ブリュッセルの空港内もマスク義務はなくなっていた。だが日系航空会社の搭乗口では、マスクをして手指消毒をしないと機内には入れない仕様になっており、「欧州ではマスク義務はないが、当機内ではマスク着用をお願いする」というアナウンスがあった。搭乗口の数メートルが、欧州(及びイスラエル)と日本の行動様式を分けていたのである。機内は完全に日本であり、「寝る時もマスクをし、旅客どうしでなるべく話すな」と言われれば人々はそれに従っていた。
思えばコロナ禍のイスラエルでは、世俗法と宗教法がせめぎ合っていた。集会の人数制限を求める世俗法に対し、「宗教的な集会は義務だ」とする宗教法を遵守する人々が激しく反発した。また集会の人数制限はデモには適用されないという一文があったため、人々はあらゆる集会を「デモ」だと強弁したりもした。法があるからこそ、人々はそれを守ったり、反発したり、改正や撤廃を求めたり、解釈の抜け道を探したりしていたのである。そして法が撤廃されるや否や、人々は「元の生活」に向けて一斉に走り出した。日本に着いて私が改めて認識したのは、日本にはマスクなどの行動制限についてさほど明文化された法がないことだった。それでも人々は協力を求められれば従うし、法や罰則とは関係なく自発的に制限に従いたいと考えているようだった。
どちらが良い悪いという話ではないが、内面化された行動様式、ある種の肌感覚というのは容易に変えられるものではないのだろう。コロナ禍の間に生じた往来の減少によって、異なる地域に住む人々の相互理解は今後より困難になっていくのではないかと案じられた次第である。
山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。