Q.同じ人間が書いた書物なのに、外典の扱いが軽すぎないでしょうか。(30代・男性)
「『外典』とは、そもそも何ですか。そんな話し聞いたことないですぞ」と言われる方が多いのではないでしょうか。それもそのはず、普通の聖書には外典などという文書は一切出てきません。ましてや、外典の扱いが軽すぎはしないですか、などと言われても一向に合点がいかないでありましょう。
そこでまず、外典とはいかなるものであるかについて、『岩波キリスト教辞典』の大貫隆先生の解説の要点を紹介させていただくところから始めたいと思います。
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私たちが今日手にする新訳聖書は27の文書からなり、これらを新約正典と呼んでいます。
新約正典への動きは後2世紀から始まったのですが、その動機は、マルキオンの独自の正典や膨大な量のグノーシス文書の出現に対抗して始まったとされます。新約正典がプロテスタント教会で正式に承認されたのが17世紀と言いますから、正典成立まで実に長い経過があるのです。
一方、外典のギリシャ語「アポクリファ」は元来、「隠されたもの」を意味し、多かれ少なかれ、異端的なグループによって生み出されました。 その文学的形式は正典(福音書、使徒言行録、書簡、黙示録)を模倣したものであり、おびただしい数の文書が新約外典に分類されます。
なお、旧約聖書の場合は、外典の他に偽典があり、新共同訳では両者を「旧約聖書続編」として旧約と新約の間に置いている版があります。
旧約外典は前3~2世紀に完成されたギリシャ語訳旧約聖書(七十人訳聖書)に含まれながら、その後の旧約正典の選にもれた文書を指します。
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イエスの生涯に関するさまざまな理解と主張からなる膨大な数の文書が自由に競い合う状況から、新約正典成立への移行は、必然のことと思われます。おびただしい数の新約外典の存在は、結果的に正統信仰とは認められなかったとはいえ、イエスの生涯をいかにかして理解したいと願う、多くの人々の熱心な探求の跡を示していると思われます。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。