近現代フランスの政教関係を考える上で、ライシテは避けて通れないキーワードである。とりわけ共和主義とイスラムの間に摩擦が目立ち始めた1990年代以降、ライシテは宗教問題だけでなく、共和国のあり方そのものに関わる原理として立ち現れている(フランスのライシテについては2021年8月11日付本欄参照)。
とはいえ、ライシテはいずれにせよ、フランスに独特の考え方であって、日本には縁遠い話なのではないか。確かにそうかもしれない。しかし本稿では、「ライシテ」という言葉を用いて、日本のあるべき姿を模索した人物がいることを紹介したい。戦後の民主主義を擁護した憲法学者、宮沢俊義(1899~1976年)=写真=である。
宮沢は早くから「ライシテ」という言葉を紹介していた。たとえば長く読み継がれた『憲法Ⅱ』(有斐閣、1959年)では、「国家の非宗教性(laicite*)または政教分離」としてライシテに言及し、戦後日本の憲法もこれを採用したと述べている。だが宮沢はその後、ライシテに「政教分離」や「非宗教性」にとどまらない意味を見出すようになる。
1962年の講演「神々の共存」(『憲法講話』岩波書店、1967年などに収録)において、宮沢は独特な言葉遣いで自らの政治的な世界観を表現している。宮沢によれば、戦後日本の憲法は「神々の共存」を認める道を選んだ。これは自己の正義を絶対化しない「相対主義」と、他者の正義に対する「寛容」を前提とする道だという。
この「寛容」と「相対主義」に則って「神々の共存」を認める道こそ、宮沢が理想とする民主主義の道にほかならない。よく知られるように、宮沢は法学者のH・ケルゼンに依りながら、民主主義は「相対主義的世界観」を前提とすると説いた。「神々の共存」という言葉は、こうした宮沢の相対主義的な民主主義観を端的に表現したものといえる。
興味深いのは、宮沢がその後、この相対主義的な民主主義の理想を「ライシテ」という言葉に託すようになることだ。たとえば1968年、宮沢は「ライシテ(laicite*)の成立」という論文を発表する(『立教法学』10号)。ここではライシテと民主主義の理念が同じであると論じられる。「ライシテの理念は、まさにデモクラシーのそれと一致する」
宮沢曰く、「相対化された神々の共存こそ、ライシテにほかならない。ライシテは、各人が自分の世界観なり信念なりを否定することなしに、異説や反対論の存在を容認し、ある点では、それを支持さえすることを求める」。宮沢は「寛容」と「相対主義」による「神々の共存」という自らの民主主義の理念を、「ライシテ」という言葉で表現したのである。
だが、なぜ宮沢は自らの民主主義の理念をわざわざ「ライシテ」という言葉で表現したのだろうか。
六〇安保後の論壇では、民主主義や平和などの「戦後」思想が体制化し、批判を浴びるようになっていた。たとえば江藤淳(1932~1999年)は、「危険な思想家」に数えられながら、絶対化した「戦後民主主義」への批判を重ねていく。のちに宮沢の「転向」を批判する江藤だが、「戦後」の絶対化を拒絶する姿は、逆説的にも宮沢の相対主義を思わせる。
宮沢にとって、民主主義は「神々の共存」を実現するための理念であって、それ自体が絶対的な「神」なのではなかった。「民主主義」という言葉が凡庸なものとなり、その魅力を失いかけていた時、宮沢は自らの相対主義的な民主主義の理念を、「ライシテ」というもうひとつの言葉に宿そうとしたのかもしれない。
*laicite 引用文中にある「ライシテ」
田中浩喜(宗教情報リサーチセンター研究員)
たなか・ひろき 1992年奈良県生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程在籍中。論文に「蜜月の盲点――伊勢神宮と政教分離」(『宗教研究』402号)、共訳書にJ.ボベロ・R.リオジエ『〈聖なる〉医療――フランスにおける病院のライシテ』(勁草書房)。
朝日新聞社 – 『アサヒグラフ』 1953年11月4日号, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34385014による