Q.同じ教会に通う女の子が気になって、お祈りに集中できません。正直、イエス様より好きかもしれません。(10代・男性)
正直、あなたの告白はこれまで頂戴したどの質問より好きかもしれません。「恋」すると誰しも「変」になります。あなたもいつもとは違う自分に戸惑っているようですね。恋のドキドキ感が伝わってきて、私までその素敵な女の子がお祈りする横顔をこっそり見てみたくなりました。
教会に通っていると、何だか特別な人間のように思われがちです。ついこの間も学生たちにクリスチャンのイメージを尋ねたら、「祈ってばかりいる」「イエス様がすべて」などと返ってきました。何だかちょっと誤解があるようです。
教会に通っていても、ただの人間であることに変わりはありません。祈れなくなったり、イエス様を忘れそうになったりすることもあります。もちろん、あなたのように教会で恋に落ちることも!
最初の人類アダムはエバをひと目見るなり、彼女に心奪われ「これこそ、私の骨の骨、肉の肉」と喜びの叫びを上げました(創世記2章23節)。もしかすると神さまは、あなたにアダムとエバのような運命の出会いを与えてくれたのかもしれませんね。ただ問題はアダムとエバの時とは異なり、今や世界の人口は70億を超えているということです。70億も人がいれば、出会いも何かと複雑です。よく注意しないと、神さまが与えてくれた出会いを台無しにしかねません。
「恋」と「変」は字まで似ていますが「恋」と「愛」はまったく違います。どうぞこの出会いを大切に、その女の子に恋するだけでなく心から愛してください。愛には嬉しく楽しいことばかりではなく、相手のためにあえて悲しく苦しいことを選ぶことも付き物です。
ずっと彼女のことが大好きでいられることを願いますが、いつかやっぱり彼女よりイエス様の方が好きだと思う日がやってくるかもしれません。そんな時にこそ、イエス様の愛の教えや生き方を思い出し、辛くても彼女に対して思いやりあふれた言動がとれるといいですね。
やました・ともこ 福島県生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程(前期)修了