Q.血もつながっていないのに、「兄弟」「姉妹」と呼び合うことに強い抵抗があります。これは世界共通の習慣ですか?(20代・女性)
あなたの抵抗感、わかるような気がします。アメリカに行った時、親しい人と軽く抱き合ってあいさつをする「ハグ」が、私にはとても難しかったからです。そういう習慣だとは思ってもハグをするたびに体が硬くなり、居心地悪く感じている自分がいました。
とはいえ、血がつながっていなくても「兄弟」「姉妹」と呼び合うことはイエス様もされていたことです。だから、今も多くのクリスチャンがそれを習慣にしています。
たとえばイエス様は、実の母と兄弟たちがそこにいるにもかかわらずあえて弟子たちを「母」「兄弟」と呼び、「天におられる私の父の御心を行う人は誰でも、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」(マタイによる福音書12章50節)と言いました。
どういうことでしょう? もし私たちが実の家族を大切にするように、血のつながらない人も大切にできれば、家族的な温かい交わりが血縁を超え広がっていきます。そんな交わりの中ならば、きっと身寄りがない人や困難を抱えた方も安心して過ごせるでしょう。イエス様は私たちが信仰による家族となり、お互いに愛し合い仕えあって生きることを望まれていたのではないでしょうか。
でも、よく考えてみると「姉妹」「兄弟」という呼び方を安易に使わない方がよいこともあるかもしれませんね。今さらながらに告白すると、実は子どものころ、よく男の子と間違われました。「そこのぼく!」などとたびたび呼びかけられ、「私は女の子に見えないのだろうか……」ととても悲しくなりました。「ぼく」といった人に悪気はなかったでしょうが、見た目と中身が一致しないこともあるのです。性別を特定するような呼び方をされたくない人もいるでしょう。
だから無理に「姉妹」「兄弟」と呼ばなくてもいいのではないでしょうか。ただし、イエス様が教えてくださった誰に対しても敬意を払いきちんと向き合う姿勢は、しっかりと心に留めておきたいですね!
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
やました・ともこ 福島県生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士課程(前期)修了