昨年1月6日の米国連邦議会議事堂での暴動は、キリスト教ナショナリズムという現象が注目を集める契機になったが、宗教的、霊的指導者たちは、それ以前からその存在を認知している。「レリジョン・ニュース・サービス」の記事から紹介する。
原住民のアキメル・オオサム(米国南西部の川の民)の一員であるシャノン・リバーズ氏は、1600年代、ピルグリム(開拓民)に作物の育て方と厳しい冬の乗り切り方を教えた北東部のワンパノアグの史料を指摘する。
「私たちは、互いの面倒を見るという道徳的な理解を最初に持っており、あらゆる悪事が行われたにもかかわらず、今日でもそれを維持している。先住民は今でも集まる。彼らは今も、入植者社会の人々のために祈っている」
昨年1月6日の連邦議会議事堂での暴動は、暴徒たちの一部が十字架を持ったり、イエスの名を唱えたりしたため、多くのアメリカ人の目にキリスト教ナショナリズムという現象を焼き付けた。しかし、多くの非キリスト教徒のアメリカ人にとって、キリスト教ナショナリズムは避けることのできない事実である。
リバーズ氏によれば、キリスト教ナショナリズムの歴史は、ヨーロッパからの入植者がアメリカ先住民の歓迎を受けて、「神の摂理によって先住民の土地を支配することが定められた」と信じたことに端を発するという。
キリスト教ナショナリズムと誠実に向き合うには、教会やその他の礼拝堂が、1493年に教皇アレクサンドル6世が発行した「発見の教義」として知られる教皇勅書に注目する必要があると同氏。この勅書は、アメリカ大陸がヨーロッパ勢力に占領された際、植民地化を神学的に正当化するものだったが、米国の法律に入り込み、アメリカ西部を米国に与えるという1823年の重要な最高裁判決の根拠となったのである。
キリスト教国家としてのアメリカについて語るには、アメリカ先住民の故郷への権利を哲学的に抹殺することから始まると主張。「というのも、最初にここにいた人々を理解せず、宗教や精神的な信念について話すことはできないからだ」とリバーズ氏。「あなたは、残念ながらこれらのキリスト教徒が犯した過ちの長い歴史を無視している」
カリフォルニア州サンタモニカの改革派シナゴーグ、ベス・シール・シャロームのラビ、ニール・コメス=ダニエルズ氏は、キリスト教ナショナリズムの根はさらにさかのぼり、イエスがユダヤ人の預言の成就でありユダヤ教を廃れたとするキリスト教の信仰にあると語った。ユダヤ系アメリカ人は、この反ユダヤ的なレンズを通して、キリスト教ナショナリズムを体験していると同氏は言う。米国では、「キリスト教のデフォルトがあるようだ」。
コメス=ダニエルズとリバーズは、カリフォルニア貧困者キャンペーンが主催し、ロサンゼルスの第一アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会で11月に開かれたキリスト教ナショナリズムに関するパネル討論で講演した数人の信仰指導者の一人である。もう一人の講演者であるリズ・セオハリス牧師(プア・ピープルズ・キャンペーンの共同創設者)は、キリスト教ナショナリズムは米国の理想と結びついており、その影響は「その思想に同調する人々、さらには自らを宗教的と考える人々も超えている」と述べた。
ロサンゼルスで宗教間対話と社会正義の活動に取り組むタヒル・シャーマ氏によれば、宗教的ナショナリズムはキリスト教だけのものではない。シーク教徒でヒンズー教徒のシャーマさんは、二つの面でナショナリズムに直面してきたという。米国ではキリスト教のナショナリズム、インドではヒンズー教のナショナリズムである。
両者の間には類似点があるとシャーマ氏は言う。インドのカースト制度に反対するシャーマ氏を、ヒンドゥー教のナショナリストは「顔にツバを吐くようなもの」と見ている。ナショナリストたちは、カーストを否定することは先祖を軽んじていると言うだろうが、「私の良心は、それが信仰の伝統の一部であるべきという事実を受け入れることができない」のだ。
あるヒンズー教のコミュニティでは、「儀式やカースト制度を批判すると、ヒンズー教恐怖症と見なされる」。キリスト教ナショナリズムも同様に、「偽りの愛国心 」を煽ることでアメリカ人の感情を逆なでしていると指摘する。インドのヒンズー教徒と米国のキリスト教徒は、自分たちが特別な存在だと思いたがる。「あなた方はただ、それぞれ異なる多数派の状況について話しているだけ」。
URI(United Religions Initiative)北米地域コーディネーターであるシャルマ氏は、白人キリスト教徒は他の信仰団体と協力して、宗教的ナショナリズムと戦う必要があると話す。「キリスト教は、社会的・人種的正義のために人々の友となり、より良い仕事をしなければならない」と言った。
コメス=ダニエルズ氏は、異なる宗教団体が互いに擁護し合うことが重要であることに同意したが、単にキリスト教ナショナリズムを非難する以上のことが必要だと述べた。1993年にモンタナ州ビリングスで反ユダヤ主義が勃発した際、ハヌカのためにメノーラを飾っていたユダヤ人の少年の寝室の窓をレンガが突き破り、町民が団結したことを思い出したという。何千人もの住民が連帯の行動として紙のメノーラを窓に飾ったのだ。
2017年、セントルイスでユダヤ人墓地が荒らされた後、イスラム教徒活動家のリンダ・サーサーとイスラム教慈善団体「セレブレイト・マーシー」の創設者であるタレク・エル・メシディ氏が、破壊された墓石を修理するために数千ドルの資金調達に協力した。「こうした反応は、本当に純粋なもの。これこそアメリカの可能性だ」とコメス=ダニエルズ氏は言う。
「私たちは皆、一緒に立ち上がる必要がある」とラビは言う。「なぜなら、ほとんどのアメリカ人は、心の底では、私たちは多元的な社会であり、私たちは皆ここにいるべきであると理解していると思うから」
聖公会南カリフォルニア教区の滞在牧師であるタスニーム・ファラ・ヌール氏にとって、キリスト教ナショナリズムは「日常社会のさまざまな側面に埋め込まれている」もの。15歳の時にパキスタンから家族と共に渡米したノール氏は、9月11日の同時多発テロ以降、イスラム教徒としてのアイデンティティをどう持つべきかを学んだという。それは、テロや爆撃、人命の奪取と対極にあるイスラム教徒のアイデンティティを提唱した瞬間だった。
1月6日の暴動の渦中にキリスト教のシンボルを見た時、それらの行動はアメリカ人に「これがアメリカだ」という事実を直視させたとヌール氏は言う。「私はアメリカ人だ。アメリカ人はこんな風に見えるんだ」