もはや社会現象とも言える、鬼と人間の戦いを描く少年ファンタジー漫画。2016年に連載が始まり、19年のアニメ化で人気が爆発。短期間で国民的漫画『ワンピース』と並ぶ異例のヒット作となった『鬼滅の刃』。20年5月、全205話という短さで惜しまれつつ完結した。異例づくしの、まさに鬼のような作品から見えてくるものとは?
鬼と人間の戦いは平安時代に始まり、物語の舞台となる大正時代まで続く。何世紀も生き続ける鬼に、人間は世代交代を繰り返しながら挑み続ける。有限の命のキリスト教徒が信仰を代々受け継ぎながら、人間を堕落させる存在として聖書に登場する悪魔(サタン)と対峙するキリスト教世界観とも重なる。
この鬼たちは夜な夜な人間の肉を喰らう。そして、永遠に生きる(ただし陽の光を浴びると死ぬ)。食糧である人間を滅ぼし尽くさないため、仲間は少数でなければならない。日本の古典や民話に登場する鬼より、ブラム・ストーカーの吸血鬼の要素が強い。西洋化した鬼と言えるかもしれない。
この西洋化(キリスト教化)の最大の特徴は、永遠の命が付与された点だろう。始祖の鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)は千年の時を生きている。神の恵みとしてキリスト教徒が受けるとされるのも永遠の命だ。千年という数字は千年王国を想起させる。
作中、鬼が剣士を誘う場面がある。
「お前も鬼にならないか?」
老いたり死んだりするのは惜しいから鬼になって永遠に生きないか、という誘いだ。数多ある吸血鬼ものでも、この手の誘惑は幾度となく繰り返される。エデンの園の誘惑とも重なる。
しかし鬼が提供する永遠の命は、キリスト教徒が新天新地において得るとされる安息とは異なる。鬼の生活は戦いと血に満ちており、安息とはほど遠いからだ。それはむしろ永遠の刑罰、永遠の呪いと言ったほうが適切かもしれない。
鬼退治を専門とする「鬼殺隊」の一員、竈門炭治郎(かまどたんじろう)が本作の主人公だ。彼は半鬼半人の妹を人間に戻すため、鬼舞辻打倒を誓う。本作は彼の成長譚でもある。一介の炭焼き職人だった炭治郎が鬼狩りの剣士となり、激しい戦いの中で腕を磨いていく。そして次々と仲間を失いながら、ついに鬼舞辻と対峙する。このRPG的成長要素、仲間たちとの出会いと別れ、ダイナミックな剣劇、容赦ない肉体破壊、コミカルでありながら重要キャラも死んでいくシリアスな展開など、いかにも少年漫画らしい魅力に溢れている。
しかし『鬼滅の刃』の最大の魅力は、敵である鬼の悲哀が詳細に描かれる点だ。鬼は一部の例外を除いて、極悪非道極まりない。容赦なく人間を食い殺す。しかし、そんな彼らもかつては人間だった。作者の吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)氏はそれを丹念に描き出す。
鬼は斬首され消滅する束の間、人間だった頃の記憶を取り戻す。その記憶はどれも悲しく残酷なものだ。遊女の子として虐待された兄妹。家族を殺してしまった子……。吾峠呼世晴はそんな一人ひとりの鬼たちの背景にページを割く。それが何度となく繰り返される、本作のパターンの一つだ。
彼らは鬼となったことで、人間を凌駕する力を手に入れた。しかし人々から憎まれ、存在が認められないアウトカーストである点は変わらない。彼らはどうあがいても差別から逃れられない。
そんな鬼たちは今も日本に残る、さまざまな被差別者のメタファーと考えることができる。部落出身者、在日朝鮮人、アイヌ民族、琉球民族、ハンセン病患者、性的マイノリティ、ミックスルーツ……。
戦いの後、炭治郎は鬼たちに寄り添い、手を置いて看取る。鬼を殺すだけのヒーローではないのだ。むしろ鬼たちの悲哀に目を向け、傷ついた魂に涙を流す。その姿はアウトカーストの人々に親しみ、共に食事の席についたキリストと重なる。
炭治郎は最終的に鬼舞辻にとどめを刺す。彼は一介の炭焼き職人だったが、実は先祖もまた鬼狩りの剣士だったのだ。その意味で炭治郎は選ばれた者であり、来るべきメシアだった。大正ロマンのキリストと言えるかもしれない。
本作が炙り出す差別は他にもある。作者の吾峠呼世晴が女性だと話題になった時、一部でミソジニー(女性蔑視)的批判が上がったのだ。「少年漫画は男性作家が描くもの」「男性作家でないと男性読者は満足できない」といった刷り込みや偏見が露見した形だ。
しかし、性別を仮託した創作は珍しくない。『金田一少年の事件簿』で有名なさとうふみやは女性だが、編集部の意向で男性名のペンネームが付けられた。逆に『土佐日記』の紀貫之は女性に仮託した。同じような例は枚挙に暇がない。
聖書の各書の記者については諸説あるが、いずれも男性記者が前提となっている。しかし例えば、旧約聖書のルツ記などは女性の筆でも何ら不思議でない。むしろ合点がいくかもしれない。もしかしたらこの書を書いたのは女性かもしれない、と考えながら聖書を読むのは、かつてなくジェンダー意識が高まる現代に即した読み方ではないだろうか。
(ライター 河島文成)
【作品情報】
舞台は、大正日本。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変した。 唯一生き残ったが凶暴な鬼に変異した妹・禰豆子を元に戻す為、また家族を殺した鬼を討つ為、2人は旅立つ。鬼才が贈る、血風剣戟冒険譚!
■作者:吾峠呼世晴
■発行年:2016年~2020年
■掲載誌:週刊少年ジャンプ
■巻数:全23巻
■発行部数:国内累計1億5000万部(2021年、電子版含む)
■出版社:集英社