壊れたどんぶり鉢 川﨑正明 【夕暮れに、なお光あり】

キリスト新聞社ホームページ

愛用していたマグカップを落として壊してしまった。とっさに19年前にがんで亡くなった妻のことを思い出した。60歳だった。39年間の結婚生活だったが、忘れられない一つの思い出がある。結婚して5年目ごろだったか、あることをめぐって大喧嘩した。妻は怒って食卓にあったどんぶり鉢を土間に投げつけて割ってしまった。私も頭にきて家を飛び出した。やがて頭を冷やして深夜に帰宅すると、壊れたどんぶり鉢はそのままで妻は寝ていた。冷静さを取り戻すと、些細なことで喧嘩したことが恥ずかしかった。

私は壊れたどんぶりを拾い集めて卓上に置き、ボンドでくっつけて修復した。それを改めて卓上に置いてじっと眺めていた。もちろん器そのものはもう使い物にならないが、壊れたどんぶり鉢は、私たち夫婦の姿を象徴していると思った。落とせば壊れる土の器である私たち夫婦は、この中に何を盛るかが問題だと思った。好きな聖句が浮かんできた。「わたしたちは、この宝を土の器の中に持っている」「たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく」「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ」(コリント人への第二の手紙4章7、16、18節=口語訳)。

Image by congerdesign from Pixabay

妻は55歳の時、卵巣がんをわずらい手術のために入退院を繰り返した。最後はぼろぼろの身体になったが、一筋の望みを託して最後の入院を決断した。前日の夜中に激痛で七転八倒し、何もできずにうろたえる私に向かって、「何もできなくもいい。あなたが側にいるだけでいい」と言った。

そして、2週間後に天に召された。あれからやがて20年目を迎えようとしている。あのどんぶり鉢を壊して大喧嘩したことを懐かしく思い出す。気がつけば私も84歳の今を生きている。目に見える「外なる人」はもうガタが来て、脚の骨折の後遺症で杖なしには歩けない。髪の毛がどんどん薄くなっていく。片方の耳が聞こえにくい。毎月の血糖値の検査と治療を欠かせない。新聞の訃報欄を見て、自分の身にもいつ何が起こるか分からないと思う。

でも、このひびだらけの土の器が愛おしい。傷づき壊れかけても、器の中の宝物をしっかりと抱きしめていたい。遠き日の亡き妻との思い出を糧にして、もう少しがんばって生きていきたいと思う。

かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。

関連記事

この記事もおすすめ