信徒の活動は「無償」が当たり前? 上林順一郎 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】

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Q.教会に来られるお客様の送迎をしたところ、「奉仕の一環」として交通費を援助してもらえませんでした。教会が負担すべきではありませんか?(70代・男性)

ご質問の背後に「別に交通費の援助が欲しくて言っているのではない!」というお気持ちを感じますが、確かに「信徒の奉仕」に対しては教会(牧師?)の側に、無理解や見えない強要があるように思います。

教会の会計では牧師の謝儀(給与)以外に、「牧師活動費」「伝道牧会費」「図書・研究費」「牧師交通費」などの名目で牧師が活動する場合の必要経費を計上しているところが多いようです。牧師は教会の専従者として、その活動を教会が支えるのは当然ということでしょうが、これに対し信徒の活動はすべて「奉仕」とみなされることになりかねません。

たとえば信徒が教会員を問安したり、入院中の信徒を見舞ったり、あるいは質問の場合のように「教会に来られるお客様の送迎」をしても、当然のように「信徒の奉仕」とみなされ、教会からの援助を求めることも気が引け、結局「自腹を切る」ことになるのです。

もっとも、「教会から費用を貰う」ことなど最初から期待してない信徒がほとんどでしょうし、もし教会から経費が出たとしても丁重に断るか、そのままを献金として返す人が多いのも事実です。奥ゆかしいというか、遠慮深いというか、とにかく信徒の活動は「手弁当」という精神が徹底しているのが日本の教会でしょう。

しかし、牧師の活動には経費が伴い、信徒の場合は無償の奉仕という、いわば信徒の犠牲的行為によって支えられるという教会の常識は、ぼつぼつ変えましょう。

そのためには「牧会伝道費」などの牧師項目の支出をやめて、「信徒伝道費」「信徒活動費」「信徒交通費」など信徒項目の経費を計上する。一方、謝儀(給与)を得ている牧師の活動は冠婚葬祭を含めて「無償の奉仕」とする。そうすれば信徒はもっと積極的に教会の活動に参加できるのではないでしょうか。もちろん、これまで通り「経費を丁重に断ることも、献金として教会に返すこと」も、まったく自由ですが……。

*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。

かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

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