中国の武漢で新型コロナウイルスの感染拡大が確認され、早1年9カ月が過ぎた。ウイルスはたちまち世界を凌駕し、その猛威は未だ衰えるところを知らない。全世界に感染が拡大、多くの死者を出す中、台湾政府は独自の調査をもとに早い段階で中国からの渡航者の入国を制限し、水際対策を徹底したため、未然にウイルスの国内侵入を防ぐことに成功した。おかげで、1年半近く個人の行動は制限することなく、住民は平常通りの生活を送ってきた。
しかし、今年5月13日に事態が一転する。政府が再入国するエッセンシャルワーカーの隔離制限をこれまでの14日から変則的に3日(隔離)プラス11日(自主管理)に変更したため、中華航空の搭乗員が繁華街に出かけ、台北近郊で市内感染が発生した。感染は爆発的に広がり、ピーク時には7日間の平均感染者数が597人にまで上昇し、1日20~30人の死者が出る日が続いた=下図参照。
政府は、これまで医療関係者や一部のエッセンシャルワーカーを除いて住民へのワクチン接種を実施してこなかったため、至急ワクチンの手配にあたったものの、中国からの妨害もありなかなか思うように事が進まず、事態は混沌とした。幸い、友好国・日本とアメリカからワクチンの無償提供があり、すぐさま高齢者から順に大規模接種が行われた。また、5月19日に台湾全島にロックダウンより一つ下の「警戒レベル3」が宣言されると、全国の学校の対面授業は即停止してすべてオンラインとなり、急激な感染爆発に恐れをなした住民は自主的に外出を控えたため、街は一時ゴーストタウンと化した。外出時はマスクの着用を義務付けられ、室内の集いは5人以下、室外は10人以下に制限され、違反者には罰金を科す厳しい対策が実施された。その後、「警戒レベル3」はほぼ2週間ごとに延長され、感染の和らいだ7月27日から「警戒レベル2」に下がり、規制は多少緩まった。最近では、感染者は1桁まで減り、「警戒レベル2」は9月6日まで延長されたものの、少しずつ平常通りの生活に戻りつつある。
政府の誤った判断と気の緩みから国内感染が広がったものの、その後の徹底した対策と住民の協力もあり、3カ月経った今、台湾はコロナ禍から解放されようとしている。これは「アジア四小龍」とうたわれた1960年代からの高度経済成長、90年代の民主政治への平和的移行に次いで、まさに第三の「ミラクル」と言えよう。
しかし、ここで「ミラクル」の代価について考えたい。「警戒レベル3」の期間中、当然のごとく教会の礼拝はすべてオンラインになった。感染防止を最重要課題と考える(あるいは考えることを求められる)「空気」の中、教会は抵抗することなく政府の決定に服従した。この間、制限を守らなかった高雄と台南の独立教会が検挙され、30万元(日本円で120万円相当)の罰金が科せられる事件があったが、同情する声はほとんど聞かれなかった。
台湾最大の長老教会に至っては、早くから政府の決定を支持しており、非常事態とはいえ、信仰の自由が妨げられ、礼拝を厳しく制限した政府の強権発動への抗議は一切なかった。感染はほぼ北部に集中しており、その他の地域では感染の拡大は見られなかったにもかかわらずである。未曾有の事態ということもあるが、そこには長年民主化運動を共に促進してきた民進党が政権を担っていることも関係しているように思う。これがもし保守の国民党政権であったならば、少しは難色を示していたのではないだろうか。
また、コロナ警戒期間中、教会は社会に向けどのようなメッセージを発してきたであろうか。我々は単にコロナ禍のいち早い収束、および「ノーマルな生活」に戻ることだけを祈っていてよいものなのか。コロナ禍を許された主のみ心は如何に? コロナ禍を神学する試みは?
過去の国民党の一党独裁時代には政府の弾圧を恐れずに「時代のミカ」として反独裁、人権、民族自決などのメッセージを発してきた長老教会が、ほぼ無批判に国家権力に従っている今日、再び自由を満喫できる日が近づいていることに喜びを感じつつも、社会的影響力を失ってしまった教会にどことなく寂寥感を感じるのは自分だけではないはずだ。
天江喜久
あまえ・よしひさ 台湾・高雄在住、2児の父。台南・長栄大学(長老派)台湾研究所副教授。2007年、ハワイ大学で政治学の博士号を取得したのち台湾に渡り、以後、主に台湾近現代史の研究をしている。妻が高雄韓国教会で宣教師として奉仕しており、自身も教会の執事を務める。