エキュメニカルはそのプロセスにおいて、多様性の大切さと、難しさを実感するものです。それは教派間での違いが、それぞれが大切にしてきたものに由来するからなのです。
私はエキュメニカルな国際会議に出席したことがあります。その会議では世界各国から、ジェンダーバランスにも配慮し、ハンディキャップを抱える人々、その国の先住民族に出席者の割り当てがあり、出席者の構成から多様性の実現のための努力がなされていました。
会議では最後に宣言文が採択されますが、どの会議でも文言をめぐる議論には骨が折れるようです。私が出席した会議でも文言をめぐって、国や教派などそれぞれの持つ背景から意見が分かれることが多くありました。しかし意見の対立があっても終始、冷静な議論が行われていたことを記憶しています。
その会議では、出席者が賛成と反対のカードをそれぞれ掲げ、反対意見をより少なくしていくための、修正・議論をしていくコンセンサス(合意)モデルがとられていました。最後まで反対意見が残った場合、そのことが記録されるため、単純な多数決的に合意を形成していく、というわけではありません。
すべての出席者の意見が完全に一致することはないでしょうが、少数の意見を取り残さない、可能な限り一致を目指していく。国や教派による違いを多く抱えていても、違いを乗り越えていく努力は確かに可能なのだ、と気づかされる機会でした。
この日本において、クリスチャン人口は1%と言われています。正直、99%の人々からすれば、教団・教派の違いなど、何ら意味を持たないでしょう。その中で1%なりの力を発揮していくために、また1%の中であってもまた途上である多様性を実現していくために、エキュメニカルは重要な役割と可能性を持っていると思うのです。
(スタッフ・三浦洋人)
【Road to えきゅぷろ2022】 シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」④エキュメニカルは出会いの中でこそ 2021年8月1日