前回、インターネットは有効な布教媒体であるが、問題点も指摘できることを述べた(3月21日付)。どのサイトを見たのか、いかなるムスリムと対話して理解に至ったのかなど、閲覧媒体によってもまた、今後のムスリムとしての生き方にさまざまな影響を与えることになるからである。
近年、SNSによって簡単にコミュニケーションを取ることができるようになったことに加えて、このコロナ禍でオンライン会議用のソフトが加速度的に広がり、かつシステムの改善が加えられてサービスも充実するようになった。こうしたことから、時差を考えなければ、世界中の人々と瞬時にコミュニケーションを取ることもできるようになった。
筆者も先だってオンラインで、ロンドン在住のムスリムの友人と数年ぶりに話すことができた。言語さえできれば、またオンラインの環境下にあれば、世界中つながることができる。瞬時に世界中の友人・知人に会えるようになるとは本当に良い時代になったものだとつくづく実感する。だが一方で、こうしたインターネット上でのコミュニケーションができない人々もいることも知らねばならない。
筆者が長年友人として付き合っている年配の日本人ムスリムの方に、スマホの使い方を聞かれた時のことであった。その方は、スマホでのコミュニケーションのやり取りは画面の見辛さもあってか、「使い方は他人によく聞く」か「あきらめて電話で連絡する」と述べた。パソコンでSNSのやり取りはしないのかと聞いたところ、立ち上げるのが面倒で、結局のところスマホを使うことになるのだが、操作によく失敗してしまうこともあり、連絡送信の確認を怠るとメッセージが送信されていないことにも気づかないまま、コミュニケーションをとったつもりで時間のみを無駄にしてしまったことも多々あったという。
だが、今後はSNSでのコミュニケーションがさらに発達していく時代である。ムスリム間でのコミュニケーションも、SNSによるものが主流となっている。このことを先ほどの日本人ムスリムも理解しているのだが、やはり一番不安なのが、コミュニケーションツールの変化に対応できないことであるという。さらに歳を重ねた時に、電話などの簡便なツールでのコミュニケーションを取る相手がいなくなれば、ムスリムとのSNS上のやりとりができず、ラマダーン(断食月)の初日やイフタール(日没後の食事)開催などの情報も入手し難い状況になる懸念はあるという。いわゆる情報弱者になる懸念が生まれるのである。
この年配の方は一人暮らしで、コロナ禍前まではマスジド(礼拝所)で行っている勉強会に通い、そこで出会ったムスリムとコミュニケーションを取っていた。だが、この状況下では外出できないこともあって、すべてがオンラインにならざるを得ない。もちろん、この方もオンライン勉強会に参加したい気持ちはあるのだが、操作方法が不慣れなこともあるのだろう。「早く昔のように外出して勉強できるようになることを祈るのみである」という。
対面でのコミュニケーションが他のムスリムとコミュニケーションを取る唯一の手段となっている人もまだいるという事実と、オンラインでのコミュニケーションが進んでいるという現実がある。現代の科学技術から取り残される人々に対して、周囲のムスリムたちの配慮はどうなされるべきなのだろうか。今、コミュニティのあり方が問われているように思われる。
小村明子(立教大学兼任講師)
こむら・あきこ 東京都生まれ。日本のイスラームおよびムスリムを20年以上にわたり研究。現在は、地域振興と異文化理解についてフィールドワークを行っている。博士(地域研究)。著書に、『日本とイスラームが出会うとき――その歴史と可能性』(現代書館)、『日本のイスラーム』(朝日新聞出版)がある。