【宗教リテラシー向上委員会】 トランプ・カルトとキリスト教(2) 川島堅二

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アメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガーによれば、宗教においてはある信念が明白な証拠によって否定されても、それを放棄するどころか、以前よりも熱心にその信念に傾倒してしまうことがあるという。どうしてそのようなことが起こるのだろうか。

一般的な人間の心理として、あることを一度選択すると、その判断を肯定してくれる情報に好んでアクセスするようになるといわれる。新車購入の場合を例にとってみよう。購入を決める前は、さまざまなメーカーの情報を集め、相互に比較検討するのが普通だろう。しかし、いったんこれと決めて購入契約を結んだ後は、選択肢から外れた車ではなく、購入を決めた車についてさらに肯定的な情報を集め、自分の選択が間違っていなかったことを確認する行動を取るのではないだろうか。

車は大きな買い物ではあるが、人生を決定するようなものではない。したがって、数年乗って気に入らない部分が出てくれば、次は別のメーカー、別の車種に乗り換えるということも普通である。しかし、こと宗教となるとそうはならない。

近代のキリスト教神学はこれを「相対的依存感情」と「絶対的依存感情」という言葉で表した。すなわち、近代神学の祖フリードリヒ・シュライアマハーによれば、人間の生は通常「相対的依存感情」と「相対的自由感情」の交錯として営まれる。車の購入のたとえでいえば、ある時期はA社の車に乗る(依存する)が、しかし、人生の別のステージではB社に乗り換えるというように、絶対にこれと決めることなく自由に他に移ることができるのである。

しかし、宗教の場合は「絶対的依存性」を本質としているので、その選択は一生モノであり、人生のステージに応じて宗教を乗り換えることはしないし、制度上もできない。一部の新宗教では「退会」を制度として導入しているが、これは例外であって、通常の宗教団体では「入信」や「入会」の際には厳密に定められた手続きが存在するのに対して「退会」という規定はない。したがって、実態は数万人の信者からなる団体でも、脱会者や死者も信者としてカウントし続けるため、公称信者数は数百万人というような新宗教が存在することになる。さすがに伝統教団では死者までカウントし続けることはないが、長期にわたって礼拝に参加せず、献金もしなくなった信者であっても別帳会員として残すのが普通である。

このようなキリスト教信仰の本質をシュライアマハーは「絶対的依存感情」と定義したのだが、これはキリスト教に限らない。著名なイスラム学者である井筒俊彦氏は、この定義はイスラム教にもそのまま当てはまるという(『イスラーム生誕』中公文庫)。

したがって、宗教の場合は、この世界に存在する複数の宗教からいったん一つを選択してその信者になると、その後の人生において、自らが選択した宗教的信念に反する情報には耳をふさぎ、それを肯定強化する情報には積極的にアクセスするということが、車の購入の場合とは比較にならないほどの強度と頻度において生じることになる。

伝統的な宗教においてさえそうであるなら、まして「カルト」といわれる閉鎖的な宗教集団においては推して知るべし。このような団体では「サタンが働いている」「魂が汚される」など巧みな言説で信者が外部の情報に触れることを規制するが、トランプ・カルトの信者にも同様なことが起こっていると推測される。(つづく)

川島堅二(東北学院大学教授)
かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。

【宗教リテラシー向上委員会】 トランプ・カルトとキリスト教(1) 川島堅二 2021年3月1日

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