10年以上前から韓国では「カナン信徒(信者)」という言葉が流行り出した。これは教会から離脱した信徒、特に若いキリスト者たちを意味する。日本語の「行かない」は、韓国語では「アン・ナガ」である。これを逆に発音すると、「約束の地」を意味する「カナン」になる。「教会に行かない人々」をコトバ遊びとして、そう呼び始めたのである。彼らは、信仰を捨てたわけではないが、教会という現場にはいたくない人々である。争いごとや教会内における不正、権威主義、クリスチャン政治家による失望などを理由に、教会の場から離れた冷淡者と言える。10年間100万人の若者が教会から離脱したという調査すらある。この用語は、新たな社会学的意味をも持つことになり、この現象を分析した多数の書物や論文が発表された。
このことと関連して、「ニュース&ジョイ」という韓国のウェブ・マガジンは1月27日、興味深いアンケート調査結果を連載した。実践神学大学院大学校と牧会データー研究所などが共同で若いキリスト者の男女700名を対象に、韓国社会及び教会への認識を調査したものであった。
連載①の見出しは「20・30代キリスト者青年の40.4%、み言葉通り生きると成功できず」であった。ここでは「お金が最高の価値になった社会」という項目に92.3%が同意した。「より高い階層に上がるのは難しい」という回答は86.4%、「正しい人が損する」という回答84.7%、と悲観的な回答比率が高かった。『教会に行かないキリスト者:カナン信徒をどのように理解すべきなのか?』(2015年)=写真=の著者、丁哉榮(チョン・ジェヨン)教授は「経済力のない青年ほど信仰生活を持続しにくいことが分かった。教会がより関心を持って彼らの現実を理解するために努力すべき」だと語った。
連載②の見出しは「キリスト者青年、20%がカナン信徒…10年後には2倍、77%が家族のために教会出席、50%は大学進学以後には教会から離脱、家族宗教化の恐れ」である。カナン信徒が持つ教会への不満の1から3位は、「権威主義の蔓延」「時代の流れとのギャップ」「形式的な関係性」であった。教会の正しい未来像は「社会に良い方向性を提示する教会」「心の癒やしを与える教会」「福音に基づいた教会」「弱者を助ける教会」の順であった。丁教授は「カナン信者が40%まで増え、社会的な機能を失い、閉鎖的な家族宗教に陥る可能性がある」と憂慮した。
最後に連載④の見出しは、「青年70.6%、コロナ拡散、韓国のキリスト教教会の責任大」である。コロナ禍において、教会が社会にとって厄介な集団であるとの否定的な見解を見せていることが分かる。
韓国では、大型教会や主流教団から特に若い信者の離脱が加速化している。これは、キリスト者が全体人口の1%未満である日本における感覚としては別世界の話だろう。しかし、脱宗教化という世界的な現象を考える時、キリスト教のみならず現代宗教界の共通の課題でもある。高学歴化による合理的思考と個人主義の強化、高齢化による若者の扶養負担、教会とキリスト者への失望、 余暇レジャーの大衆化などは、伝統的な共同体中心のキリスト教の存立を脅かしている。
日本のキリスト教は、既成宗教の圧倒と経済高度成長による物質主義と個人主義の蔓延などを先に経験したので、核教会化の現象はすでに深刻化している。韓国の若い「カナン」信者たちが教会以外の場所で信仰を分かち合いながら、かつて日本で語られた内村鑑三や矢内原忠雄、金敎臣などの無教会主義グループの教えに改めて注目する傾向が感じられる。このような時代的な変化を先取りし、対応するためにも日韓キリスト教のコミュニケーションと知恵の共有はより求められるのではないだろうか。
ほん・いぴょ 1976年韓国江原道生まれ。延世大学大学院修了(神学博士)、京都大学大学院修了(文学博士)。基督教大韓監理会(KMC)牧師。2009年宣教師として渡日し、日本基督教団丹後宮津教会主任牧師などを経て、現在、山梨英和大学の宗教主任。専門は日韓キリスト教史。