【夕暮れに、なお光あり】 もっと教会のことばを 上林順一郎

キリスト新聞社ホームページ

「オレがオレがの、我を捨てて、アナタがアナタがの、我に生きる」

散歩で通る近所のお寺の掲示板に書かれていた言葉。「お寺さん、なかなかやるなあ!」と、思わず立ち止まって読みました。

最近、『お寺の掲示板』(江田智昭著、新潮社)という小さな本が牧師たちの間でも話題になっています。全国各地のお寺の掲示板に書かれている心を打つような言葉やハッとさせられるような言葉を集めたものです。

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」、その通りです。「人の悪口はうそでも面白いが、自分の悪口はほんとでも腹が立つ」、身に覚えがあります。「男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経」、思わず「牧師は説教、信徒は不興」と、つぶやいていました。

多くの教会の前にも掲示板があります。そこには聖書の言葉以外に礼拝の説教題が書かれていますが、あまり心を打つものは見当たらないですね。「寸鉄、人を刺す」、短い文言で人の心をとらえるものでないと見向きもされません。

最近はあまり見かけませんが、戦後しばらく「路傍伝道」が盛んな時期がありました。夕方駅頭に立ち、通り過ぎていく人々に向かって説教する伝道方式ですが、帰宅を急ぐ人の足を止め、しかも説教を語るというのは難しいことです。路傍伝道では目の前を通り過ぎていく人の足をまず止めることが肝心です。止まってくれなければ、聞いてもくれません。

長年、路傍伝道を続けた牧師に「こつ」を聞いたことがあります。まず「最初のひと言が肝心」ということでした。その牧師の最初のひと言はいつも「愚かなる者よ、今宵、汝の魂とらるべし!」(ルカ福音書12:20=文語訳)。聞いた人は驚いて思わず足を止める。止まればこちらのもの、続いて「神を信じなさい。信じる者は、救われん!」。まさに気合十分、一期一会の真剣勝負です。路傍伝道によって「神を信じて、救われた」人も多かった時代の話です。

コロナ禍が収まらない日々、教会での礼拝も思い切り語り合うことができない状況です。礼拝時間を短縮したり、説教者もマスクをつけたり、オンラインで礼拝の配信をしたり、いろいろ工夫をしつつ教会は神の言葉を語り続けます。いま求められるのは短くても温かくて心に届く言葉、がんばってみようかと励まされる言葉でしょうか。

80歳を過ぎて不自由や不安と向き会う日々、心に届いた言葉がありました。「大丈夫だよ、生きていけるよ」 いまこそお寺さんに負けない言葉を!

かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

この記事もおすすめ