ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。
ガラテヤの信徒への手紙2章7節(参照箇所同書2:1〜10)
初代教会の伝道方針は、二つに分かれていました、律法の決まり事を重視するエルサレム教会を中心としたユダヤ人グループは、異邦人であっても割礼を受けるべきであるとし、他方、異邦人への伝道を広げようとするパウロのグループは、キリストを信じる信仰が人を救うのであって、割礼を受ける受けないは自由であると主張したのです。とくに割礼問題は非キリスト教世界での慣習儀礼に対する考え方に影響を与え、ルターは、パウロの考え方について、「信仰にいて譲らないが、愛において譲る」ことであると評価しています。
他宗教の慣例が社会に定着している我が国のようなところでは、この考えはとくに大切と思われます。クリスチャンだからといって、地域社会に定着した冠婚葬祭の慣習を軽視したり、排除すれば、そこにいる人たちにはかえってつまずきを与えることになりかねません。地域社会の人々は、聖書から見れば皆隣人なのです。隣人は愛する対象です。信仰の純粋さを強調するのあまり、排他的独善的な態度を取るのは避けたいものです。隣人を愛する形は、実際の時と場合に応じてざまざまでしょう。