それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
イザヤ書7章14節(参考箇所同書7章1〜17節)
ユダの王アハズはダマスコ王レツィンとイスラエルの王ベカの攻撃を受け、アッシリアに支援を頼もうとします。紀元前734年頃のことでした。
力に対しては力を、これは世の論理です。イザヤはこれに信仰の論理をもって応えようとするのです。イザヤはアハズに言います。「あなたたちは人間にもどかしい思いをさせるだけでは足りず、わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか」(12節)。力と力の対決は、すぐには決着がつきません。どうなることかともどかしい思いを人に抱かせます。イザヤはそれどころか神にももどかしい思いをさせるものだと言います。要はそれでは真の解決にはならないと言っているのです。
彼は真の解決は神が与えられるとしました。しかしそれは力に対し力をもってするのではないのです。あたかも無力に見える幼子メシアの到来の預言をもって解決の答えとしました。神の力は、この世の力に対しては赤子のように見えても、神はインマヌエルなるお方であって、そこには信仰による力があるとイザヤは教えているのです。そしてこの預言が、あのベツレヘムの家畜小屋で成就し、わたしたちも力による解決のもどかしさから解放されているのです。