7月23日 コヘレトの言葉11章6節

 朝、種を蒔け、夜にも手を休めるな。実を結ぶのはあれかこれか、それとも両方なのか、分からないのだから
コヘレトの言葉11章6節(参考箇所同書11章1〜8節)

人生には、どうしてこんなことを何時まで続けなければならないのかと嘆きたくなることがあるものです。牧師を志す若者に「牧師になるには、徒労と絶望に早く慣れることだ」と言うことがあります。伝道や牧会の働きは、努力をすれば報われるとか、計画通りに事が運ぶといったことが通用しないからです。

しかしながら、牧師の働きばかりではなく、多くの仕事には、働いても働いても無駄であるかのようの感じることがあり、せっかく苦心惨憺(くしんさんたん)したのに結果が失望に終わることもさして珍しいことではありません。人によっては、先の見えない、単調な日々の生活を繰り返しながら、営々と努力を続けねばならないこともありましょう。場合によっては生きているうちに結果を見ることがないかもしれないのです。

そのような働きを継続させる力は、かならず成ると約束してくださるお方を信じるところから生じるものです。コヘレトの言葉の著者は、実を結ぶ種は、どの種か人には分からないと言います。人の手を離れたところで事は進んでいることを信じることができる人は、無駄働きや徒労に強い人であります。そのような人は計画的事を進めることや努力することには、一向に困難を感じません。

 






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