測り縄は麗しい地を示し、わたしは輝かしい嗣業を受けました。
詩編16編6節(参考箇所詩編16編1〜11節)
この作者はかつて主なる神の下を離れて異なる神に走った経験がありました(4節)。彼はあれこれと遍歴をしながら、幸せを探し廻ったのでしょう。でも結局は見つからなかったのです。再び主なる神の下に帰って来て「あなたはわたしの主。あなたの他にわたしも幸いはありません」(2節)と主の前に告白しているのです。
神が幸いを与えられると言っていないのです。神そのものが幸いに他ならないというのです。また彼は「主はわたしに与えられた分、わたしの杯。わたしの運命を支える方」(5節)と言います。分や杯、また運命とは、作者が受けた主なる神からの賜物である嗣業を意味します。しかし彼は、それを神からと言わないのです。神であるお方そのものが、嗣業であると言うのです。彼と主なるお方との間には差し向かう距離がありません。彼のすべては、主なるお方そのものです。
そうなれば、模索する人生があろうと、もだえの中に身を置いていようと、「測り縄は麗しい地を示している」のであり、「わたしは輝かしい嗣業を受けている」と言い得る人生が広がっています。もはや異なる神に走ることはないのです。