「わたしは彼女を、歴史のうちへ連れてゆく」 ーキルケゴールの決意とは
哲学と文学の歴史の中で、最も美しく、切ない愛の物語とはなんでしょうか?人によって答えはさまざまでしょうが、今回の記事で取り上げるキルケゴールとレギーネの物語こそはそれだと考える人は、少なくないのではないかと思います。
「わたくしの生存は、絶対にかの女の生涯に重点を置くようにしなければならない。わたしくしの著作家活動もまた、かの女にたいする栄誉と賞賛の記念碑と見なされなければならない。わたくしはかの女を、ともどもに歴史の内へ連れていく。憂愁のなかでもかの女を恍惚とさせるという唯一の望みをいだいていたわたしの願も、そこでは拒まれないのだ。」
わたしはわたしのレギーネと共に、歴史に残る。これはキルケゴールが1849年に残した日記の一節ですが、彼をしてそう決意させた事情とは、一体何だったのでしょうか。紙幅の関係上、ごく簡潔にではありますが、これからたどってみることにします。
若者よ、君はどうして結婚しなかったのか ーキルケゴールの苦悩
「レギーネよ、わが心の女王よ。」1837年の5月、ある社交のパーティーでレギーネ・オルセンという名の少女と出会ったキルケゴールは、たちまちに恋に落ちます。紆余曲折ありましたが、共に過ごす時間を重ねて彼はついに、愛するレギーネとの結婚の約束を取りつけました。時に1840年9月、キルケゴール27歳、レギーネ18歳。「歳の差、ありすぎなんじゃね……?」と思われる方もいるかもしれませんが、一応、現代でも、18歳ならばギリギリセーフです。キルケゴールの将来の幸福はもはや、約束されたかに見えました。
ところが、です。キルケゴールは婚約の次の日からもう悩みに悩みまくり、その悩みと苦しみの果てに、翌年の8月には婚約を解消してしまうのです。
彼女を愛していなかったのでしょうか?いや、愛していました。では、レギーネが?いえ、彼女ももちろん、彼を愛していました。「なんで!?なら、結婚すればいいじゃん!」と誰もが思うことでしょうし、また、実際にキルケゴール本人以外の関係者たちはみなそう思ったのですが、彼はこの紙面では到底書き尽くすことのできないほどの内面の苦悩と魂の煩悶のすえに、婚約を破棄してしまったのです。
こうして、キルケゴールが猛烈にレギーネを愛しており、また、レギーネもキルケゴールにぞっこんになり始めているのに、キルケゴールが抱えている苦悩のせいで二人は結婚できないという、もはや謎としか言いようのない展開をもってこの事件は終局を迎えました。さらに付け加えておくと、この婚約破棄事件の三年後には、キルケゴールがふたたび「二人の愛はひょっとしたら、復活するのではないか……?」との思いに駆られ、猛烈な勢いで『おそれとおののき』『反復』を書き上げて思想を決算してからレギーネのもとに突進しようとしたあげく、その時になってから、彼女が別の男性と結婚したことを知るという惨劇も起きています。「そんなんだったら、なんで結婚しておかなかったのよ……」とは、この顛末を見聞きする誰もが抱かずにはいられない感想であるといえます。
キルケゴールにしかできない、彼女の愛し方
青年キルケゴールの心は、ズタボロになって崩れ落ちました。一体、なぜこんなことになってしまったのでしょうか。彼が、この世の基準からするならば、もはや絶望的としか言いようのないレベルで不器用だったことは確かです。この世には、「とりあえず結婚しておけばいいじゃん」で事を済ますことのできない人もいるのです。
しかしながら、キルケゴールが偉大であったのは、まさにここからです。彼はこの後もレギーネのことを、愛し続けました。彼は、おそらくはこの世のほかのどんな夫婦愛にも劣らぬほどの情熱をもって、彼女を愛し続けたのです。彼は、自分がこれから後に書くことになる著作をすべてレギーネに捧げることを、心に決めたのです。
本当に愛していた相手との特別な関係を失った文学気質の持ち主が抱かずにはいられない、一つの望みがあります。それは、自分の魂そのものを賭けて愛した恋人の存在を、書物の中で永遠なものとすることにほかなりません。「わたしは彼女を、歴史のうちへ連れてゆく。」キルケゴールは、絶望のうちで彼が最後の望みとして抱いたこの目標を、最後まで貫きました。彼は、現代という時代が抱えている病と向き合いながら、「信仰の騎士キルケゴール」、「実存哲学の先駆者キルケゴール」としての戦いを戦いぬきました。自分自身の全存在を賭けてこの戦いに没頭し、ついに倒れて亡くなるその日まで、彼の心の中にかのレギーネが存在しつづけていたことは今日、残された日記や彼自身の言動などから判明しています。この世で彼女を幸せにすることができなかったとはいえ、彼が、彼にしかできないやり方で彼女を愛しぬいたことは確かです。
おわりに
キルケゴールの愛はこうして、この世では実を結ぶことがありませんでしたが、彼の言葉通り、哲学の歴史には永遠に残ることになりました。この物語ははたして、彼に幸福をもたらしたのでしょうか?その答えを出すことは簡単ではなさそうですが、キルケゴール本人にこの問いを尋ねたとしたら、あくまでも筆者個人の見解ではありますが、彼はおそらく、次のような答えを返してくれるのではないかと思います。「他の人々がどう考えるかは、わたくしにとってはそう重要なことではありません。わたくしとしては、たとえ他のどんな人生と取り換えてもらえるとしても、あの人を心から愛したわたくしの人生を手放すつもりはありません。」