【哲学名言】断片から見た世界 真理の探求へ

親友は病気になって、この世を去ってしまった:この出来事は、アウグスティヌスに何をもたらしたか】

アウグスティヌスの親友は熱病にかかって、あっという間に亡くなってしまいました。病気が治ったらすぐ前と同じような日々が戻ってくるだろうと思っていた彼は、この出来事に直面して、大きな衝撃を受けることになります。

「[…]あなたはこの友をこの世から奪い去られたのである。それは、わたしにとって、当時の生活のあらゆる甘美なものにまさって甘美であった友情のうちにかれがまだ一年もすごさない時のことであった。」

この親友の死の出来事はその後のアウグスティヌスの人生の道のりにとっても、小からぬ意味を持つことになります。今回の記事では『告白』の言葉を参考にしながら、この辺りの事情について詳しく探ってみることにします。

友を喪ったことの耐えがたい痛みは、時間をかけて癒されていった

まずは、長い時間をかけて起こった過程の内実について、あらかじめ見ておくことにします。親友を失ったアウグスティヌスの悲しみと痛みは非常に大きなものでしたが、時が経つにつれて、彼は少しずつその痛みから癒されてゆきました。

最初の頃の苦しみは、とても深いものだったようです。「この悲しみのために、わたしの心は、まったく暗黒となり、何処を眺めても、目に見えるものは、ただ死のみであった。」親友との記憶を思い出すことが辛かった彼は故郷を再び離れて、カルタゴで暮らすことを決めました。

しばらくは耐えがたい日々が続いたと、アウグスティヌスは『告白』の中で当時のことを振り返っています。しかし、大きな喪失を経験した人々の多くが経験することですが、痛みというのはその本質からして、時と共に過ぎ去ってゆかずにはおかないもののようです。ずっと忘れないでいたいとどれだけ強く願うとしても、時間は望もうと望むまいと、苦しんだ人が受けた傷を癒し、忘れさせてゆきます。

「時はわれわれの心のうちに不思議なはたらきをする。ごらんなさい、時は、日毎に近づいては過ぎ去った。」アウグスティヌスは、新しい友人たちとの交流から得た慰めによって、少しずつ日常を取り戻してゆきました。学問をしながらも遊びにも夢中になる以前と同じような日々が、次第に戻ってくることになります。

「わたし自身が、わたしにとって大きな謎となった」:真理の探求へ

それでは、この親友の死の出来事はアウグスティヌスにとって、ただ忘れられてゆくだけのものだったのでしょうか?ここでは、『告白』第四巻第四章において語られている次の有名な言葉を手がかりにして、この点について考えてみることにします。

アウグスティヌスの言葉:
「わたし自身が、わたしにとって大きな謎となった。」

もしもいつの日か死ぬ運命にあるとするならば、人間が生きるということには、どのような意味があるのか。一人の人間であるこのわたしが、たった一度限りの人生を生きる意味とは何だろうか。

後のアウグスティヌスが「神の愛を信じる人間になること」という答えにたどり着いたことは、よく知られています。けれども、この答えは、そこへと行き着くことになる人が、一つ一つの道の曲がり角でどのように悩み、どのように苦しんだかが身をもって経験されて初めて、意味を持ちうるものなのではないか。わたしはなぜ存在しているのか、なぜ生きなければならないのかという問いに向き合うことを通してこそ、答えにたどり着きたいという願いもまた、切実なものとなってくるのではないか。

青年アウグスティヌスは親友を失った苦しみから、時間をかけて癒されてゆきました。しかし、一度なされた問いかけは決して消えることなく心に残り続けて、彼が自分自身の実存の問題に突き当たり、悩み苦しむたびに、それだけ深まってゆきます。『告白』の物語とは、同じ一つの問いかけが何度も忘れ去れられながらもとどまり続け、いくたびも回帰してきた後に、ついには問う人が究極的な答えの元へと到達することになる過程に他なりません。上に見た第四巻第四章の言葉は、この問いかけがいよいよ本格的な形で問われ始めたことを証しするものであると言えるかもしれません。

おわりに

『告白』読解も、次回の記事では青年アウグスティヌスが26歳の時に進んでゆくことになります。紆余曲折を経て、彼の生き方を決定的に変えることになる「取って読め」の出来事にたどり着くまで、あと六年です。次第に切迫したものとなってゆく彼の真理の探求の道のりを、引き続きたどってみることにします。

[今回の記事で取り上げた表現「わたし自身が、わたしにとって大きな謎となった」における「謎」という言葉の原語はquaestioで、これは英語のquestionに相当する語になっています。自分自身の存在がクエスチョン、すなわち「謎」あるいは「問題」になってしまった状態を言い表しているという意味では、とても印象的な表現であるといえます。『告白』読解もそろそろ始まって丸四ヶ月になりますが、青年アウグスティヌスの人生の探求をなんとか「取って読め」までたどり着かせたいという思い入れのようなものが、少しずつ出てきました。納得のゆくラストに行き着けるよう力を尽くしてみますので、気の向いた回だけでもお付き合いいただけたら幸いです……!]

 

 

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