野菜はしおれさせた方が食べやすい【聖書からよもやま話340】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、詩篇の102篇です。よろしくどうぞ。

詩篇 102篇4節

私の心は青菜のように打たれてしおれ
パンを食べることさえ忘れました。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

「青菜のようにしおれて」ってダビデさん、青菜はしおれてなかったら食べにくいです。ほうれん草でも小松菜でも、生でシャキシャキのままでは食べられません。茹でたり炒めたりしてしおれさせてこそ、たくさん食べて、その栄養を取り入れることができるんです。

僕は毎日みそ汁を作るんですけど、みそ汁にすると驚くほどたくさんの青菜を食べられます。鍋に入り切らないほどの青菜を入れても、火が通るとしおれてカサが減るのでなんならそこに油揚げを追加することさえできるほどです。青菜に限らず、大抵の野菜は生で食べるよりも火を通した方がたくさん食べられますから、僕は普段の食事で基本的に野菜には火を通すことにしています。おひたしとか、きんぴらとか、野菜をしおれさせて食べる料理はいくらでもあります。

反対に、生のままで野菜を食べるとたくさん食べたつもりでも実はそれほど食べられていないことが多々あります。トンカツの横に添えられた千切りキャベツは一見たくさんあるように見えますが、実は大した量ではありませんし、当然そこから摂取できる栄養も大した量にはなりません。

野菜はしおれてこそ、その真価を発揮するんです。
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神様は時としてこのダビデのように、人をしおれさせることがあります。僕にだって、しおれてしまうことは多々あります。仕事がうまくいかなかったり、誰かに怒られたり、デートを断られたり、食べに行ったレストランがあんまりおいしくなかったり、、好きなプロレスラー(棚橋弘至、エル・デスペラード、鷹木信悟etc)が負けたり・・・と、本当に多々あります。そんな時は「神様どうして・・・」と不平を言いたくなってしまったりもしますが、このダビデの嘆きをみて「そうか、野菜と同じなんだ」と思わされました。

いつも自信満々でシャキシャキでいたいとも思いますけど、本当にいつも自信満々でシャキシャキだったら、もしかしたら僕の周りから離れてしまう人もいるかもしれません。だっていつも自信満々でシャキシャキな人って、僕だって時々、付き合うのに疲れてしまうことがありますもの。時にしおれたり、時には一緒にしおれたりできる人の方が末長く付き合えるような気がします。そしてたぶん、そんな関係の方がそこからたくさんの栄養をもらうことができる気がします。

少なくとも、人間にはしおれたときにこそ生かされる場もあるということは確かかと思います。だからこそ神様は、時として人をしおれさせるんです。青菜をゆでてカサを減らすように。小さな鍋一つでたくさんの栄養を摂れるように。

しおれてもいいんです。むしろしおれた方がよかったりするんです。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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