神様の助けを受ける時は焦らなくていい【聖書からよもやま話312】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、使徒の働きの12章です。よろしくどうぞ。

使徒の働き 12章8節

御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがその通りにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私についてきなさい。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ペテロはヘロデ王に捕まって投獄されていました。そこに天使が助けに来ました。天使はペテロを牢から連れ出そうとするのですが、その時に「ちゃんと帯を締めて、靴をはいて。あ、上着も忘れちゃダメだよ」と言いました。天使さん、優しい。気遣いが細やかです。

こういう時って、映画のシーンなんかでしたら、「帯とか靴とかどうでもいいから!上着もどうでもいいから!いいから早くついてきて!急いで!」と、着のみ着のままでとにかく逃げる、というのが定番じゃないですか。でもこの天使さんはそうしなかったんです。むしろ「焦らなくて大丈夫。身なりとかを整えてからで良いからね」と、余裕さえ感じさせる態度なんです。

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UnsplashNordWood Themesが撮影した写真

神様が困っている僕たちを助ける時って、こういう余裕があるものなのかもしれないな、と思わされました。助けられる立場の僕たちはついつい焦って、「とにかく早くこの状況から脱しなきゃ!身なりなんて構っていられない!なりふり構っていられない!」と完全に余裕のない状態に陥ってしまったりしますが、一方で助ける側の神様は「大丈夫だから落ち着いて。ちゃんと身支度をしてからでいいから」と言ってくださるわけです。

神様の助けを受ける時、僕たちは焦らなくて良いんです。自分のペースで落ち着いて行動すれば良いんです。だって神様は僕たちのそんなペースだってすっかり知った上で、助けの手を差し伸べてくださっているんですから。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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