着る服が心を変える。〜野球選手がユニフォームを着る理由〜【聖書からよもやま話254】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エゼキエル書の42章です。

エゼキエル書 42章14節

祭司たちは、聖所に入ったら、聖所からそのまま外庭に出てはならない。彼らが奉仕に用いる服は聖であるから、そこに置き、ほかの服に着替えてから民に属するところに近づくのである。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

野球選手は試合の時にユニフォームを着ますし、ミュージシャンはコンサートの時にはステージ衣装を着ます。これにはもちろん「どっちのチームか分かりやすいようにする」とか「お客さんからかっこよく見えるようにする」という意味もありますが、これにくわえて「心を切り替える」という意味もあるように思います。僕もミュージシャン時代、楽屋でステージ衣装に着替えると「よしゃ!いくぞ!」と覚悟が決まったものでした。

仕事のスーツのままで家でくつろごうと思ってもなかなか難しいですし、ましてベッドでゆっくりと眠ることはなおさらです。くつろぐときには部屋着に着替えた方がいいですし、寝るときはパジャマに着替えた方がいいです。スーツを着ていると心は「仕事モード」のままですが、着替えれば「くつろぎモード」とか「寝るモード」に切り替わります。もちろん反対に、部屋着からスーツに着替えればまた「仕事モード」に入ります。パジャマや部屋着のままで仕事をしようとしても、なんとなく心がだらけてしまいます。
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多くのクリスチャンは毎週日曜日に教会に行って礼拝をします。この礼拝というのは「神様に近づく場」ですから、つまりすなわち「聖所」だと言えます。旧約時代の祭司さんたちは聖所に入る時は特別な服を着ていたようですが、現代の礼拝に集まるクリスチャンは特に特別な服を着ることはあまりありません。普段と同じような格好で教会に集まります。ですから、礼拝が終わればそのまま仕事とか、他の用事に出かけたりします。礼拝の後に着替える、という人はそれほど多くありません。もちろん牧師さんなんかは着替えたりもしますけれど。

僕自身も礼拝の後で、そのまま仕事や他の用事に出かけてしまうことがあります。今日の箇所を読んで、それはあんまり良くないことだなと思わされました。礼拝が終わったら一度家に帰って、着替えてから他の用事に向かう方がいいなと。とはいえ時間的な制約もありますし、なかなか本当に家に帰って着替えるのは難しいことも多いです。それならせめて、着替えるのと同じくらい、しっかりと心を切り替えてから、他の用事に向かわなくてはいけないなと思います。

「ダラっと教会にでかけて、ダラっと礼拝して、そのままダラっと他の用事に行く」のではなく、ちゃんと「教会にでかける」「礼拝をする」「他の用事にゆく」ときっちりメリハリをつけて臨まなくてはいけないぞと、今日は神様から叱られた気分です。

礼拝だけではなく、もちろん日々の生活もきっちり心のメリハリをつけて臨まなくてはいけませんね。僕は職場と家が一緒ですから、正直なところ誰にも会わない時は部屋着のままで仕事をしたりしてしまいます。テレワークが普及して、もしかしたらそんな方は他にも増えたかもしれません。しかし、「仕事の時は仕事着」「出かける時は外着」「くつろぐときは部屋着」「寝るときはパジャマ」と、ちゃんと分けることが必要なんだなと、今日はなんだか書きながら自戒ばっかりでございます。

特に夏はね、暑いですからね、ついついTシャツ一枚とかで仕事をしてしまいがちなんです。良くないですね、すみません。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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