わからないことは無理にわかろうとしないことも大切【聖書からよもやま話172】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  創世記の6章です。それではよろしくどうぞ。

◆創世記 6章14節

あなたは自分のために、ゴフェルの木で箱舟を造りなさい。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

これは有名な「ノアの箱舟」の話です。神様はノアに「舟を作りなさいよー」と命じたのですけれど、その時にその舟のサイズとか形とか材料とかについても細かく指定しています。そこでその指定された材料としてこの「ゴフェルの木」というのが出てくるのですけれど、実はこのゴフェルの木というのがどんな木なのか、現在でもよくわかっていません。

聖書全体を通してみても、この「ゴフェル」という単語は後にも先にもこの一回しか使われていませんから、聖書自体から手がかりを得るのも難しそうです。英語の聖書ではcypress(イトスギ)と訳されることが多いようですが、レバノン杉だという説も有力なようです。他にもマツ、モミ、スギ、コクタン、アカシア・・・と、さまざまな説があって本当によくわかりません。中にはコールタールか何かで木を貼り付けた合板ではないかという説さえあります。
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日本の聖書でもこの語を昔の文語訳聖書では「松木」口語訳聖書では「いとすぎの木」と訳していたのですが、現在広く普及している聖書協会共同訳や新改訳では無理に訳さずにそのまま「ゴフェル」と記しています。

この「わからないものは無理にわかろうとせずに、そのままに置いておく」という姿勢、大切だなと思います。人間はどうしても「何もかもをわかりたい!」と望んでしまいますけれど、わからないことだってたくさんあるんです。「わからないことはわからない」と認めることがもっと必要です。そうしたらそのうち何かの拍子でポンっとわかることがあるかもしれませんし、ずっとわからないならそれはそれで神様が「それはわからなくてもいいよ」と言っているのかもしれません。わからないものを無理にわかろうとして「イトスギだ!!」「いや違う!レバノン杉だ!」と争うよりも、「よくわからんけど、とにかくゴフェルと呼ばれていた木で作られたんだな」と、ひとまず置いておく方が平和です。

もちろん、なんでもかんでもそのように「ひとまず置いておく」のが正解だとは言いませんけど、なんでもかんでも「正答」を見つけようとして無理をするのも良くないなと思うんです。

それに、わからないことがあった方が世の中は楽しいです。わからないこと、それはすなわち謎。謎、それはすなわちロマンです。何もかもわかるようになった世界はきっと、ロマンのない世界です。わからないことをとっておくのは、ロマンをとっておくことです。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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