家族だったら堂々と会えるのに。切ない。【聖書からよもやま話33】


皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、雅歌の8章です。それではよろしくどうぞ。


◆雅歌 8章1節

ああ、もし、あなたが私の母の乳房を吸った私の兄弟のようであったなら、私が外であなたに会ってあなたに口づけしても、だれも私を蔑まないでしょうに。


雅歌は「聖書のラブソング集」とでも呼べる書で、男女の恋慕の情が赤裸々に記されています。中には「わ。ちょっと過激・・・」と思えるような表現もあったりします。

今日抜き出した箇所は、ちょっとわかりにくいですが「もし私があなたの兄弟や家族であったなら、どこであなたとハグしたりキスしたりしても誰もとがめないでしょうに」という意味です。この時代は、夫婦であっても人前でハグしたりキスしたりするのは良くないこととされていました。まして恋人同士ならなおさらのことです。しかし、親子や兄弟であれば人前でハグやキスをしてもOKでした。ですからこれは「人目なんか気にせずにあなたと愛し合いたい」という意味です。

これ、今の時代だからこそ余計に気持ちがわかる気がします。コロナ対策で一緒に会食できるのは家族のみとされている現在、一緒に食事をしたい相手が家族であったら堂々と出かけられるのに、なんて思うことがあります。会いたい人がいて、その人と一緒に食事ができる家族を羨ましく思ったりします。

しかしこの「家族のみ会食可」というルール、確かに理由はわかるのですが、一人暮らしにはなかなかきついですよね。「ひとりもんはずっと毎日一人で食事をしなさい」と言われているのと同じですから。

もっとも、そのおかげですっかり自炊が上達して、「上手な粗食」を日々実行できるようにはなりましたけれど。でもいい加減そろそろ誰かと一緒に食事がしたいです。

それではまた。
主にありて。MAROでした。

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