皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章から心に浮かんだ事柄を、皆様の役に立つ立たないは気にせずに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、雅歌の8章です。それではよろしくどうぞ。
◆雅歌 8章1節
ああ、もし、あなたが私の母の乳房を吸った私の兄弟のようであったなら、私が外であなたに会ってあなたに口づけしても、だれも私を蔑まないでしょうに。
雅歌は「聖書のラブソング集」とでも呼べる書で、男女の恋慕の情が赤裸々に記されています。中には「わ。ちょっと過激・・・」と思えるような表現もあったりします。
今日抜き出した箇所は、ちょっとわかりにくいですが「もし私があなたの兄弟や家族であったなら、どこであなたとハグしたりキスしたりしても誰もとがめないでしょうに」という意味です。この時代は、夫婦であっても人前でハグしたりキスしたりするのは良くないこととされていました。まして恋人同士ならなおさらのことです。しかし、親子や兄弟であれば人前でハグやキスをしてもOKでした。ですからこれは「人目なんか気にせずにあなたと愛し合いたい」という意味です。
これ、今の時代だからこそ余計に気持ちがわかる気がします。コロナ対策で一緒に会食できるのは家族のみとされている現在、一緒に食事をしたい相手が家族であったら堂々と出かけられるのに、なんて思うことがあります。会いたい人がいて、その人と一緒に食事ができる家族を羨ましく思ったりします。
しかしこの「家族のみ会食可」というルール、確かに理由はわかるのですが、一人暮らしにはなかなかきついですよね。「ひとりもんはずっと毎日一人で食事をしなさい」と言われているのと同じですから。
もっとも、そのおかげですっかり自炊が上達して、「上手な粗食」を日々実行できるようにはなりましたけれど。でもいい加減そろそろ誰かと一緒に食事がしたいです。
それではまた。
主にありて。MAROでした。
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MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。