今日も日刊キリスト新聞クリスチャンプレスをご覧いただきありがとうございます。
さて昨日から新連載を始めました【聖書からよもやま話】。
毎回、ランダムに聖書の全1189章の中から1章をピックアップして、そこから皆様の信仰に役立つお話し・・・は、僕にはあんまりできないので、信仰の役には立たないかもしれないけれど、もしかしたらちょっとは他の何かの役に立つかもしれない話を書いてみよう!というコーナーです。
二回目の本日、選ばれたのは旧約聖書、サムエル記第二 22章です。
◆サムエル記第二 22章47節
主は生きておられる。ほむべきかな、わが岩。あがむべきかな、わが救いの岩なる神。
ダビデ王は前王であったサウルに恨まれ命を狙われ、大ピンチに陥りましたが、そこから神様の助けによって救い出されました。その時に、神様に感謝を捧げて歌ったのがこの22章です。

Photo by Guillaume Bergaglia on Unsplash
ここでダビデは神様のことを「わが岩」と言って崇めています。キリスト教では神様のことを「岩」と表現することが多々あります。イエス様の一番弟子と言われるペテロも、もともと本名はシモンと言いましたが、イエス様から「ペテロ(岩)」と改めて命名されました。岩というのは非常に固くて丈夫ですし、家を立てるなら硬い岩盤の上が一番適していますし、というわけで「絶対に揺らがないもの」の象徴として「岩」というのはキリスト教では割と重要な意味を持つんです。
が、よくよく考えてみると、もし自分が「君って岩みたいだよね」と言われたら嬉しい気持ちになるでしょうか。もし自分が誰かを褒めたい時に「岩」って表現を使うでしょうか。「岩のような大男」とか「岩のようにガンコ」みたいな表現は日本でもあったりはしますが、少なくともあまり一般的には褒め言葉として使う言葉ではないですよね「岩」って。イエス様に命名されたペテロだって、日本語に直訳したら「岩男(いわお)」みたいな名前ですからね。強そうではありますが、現代日本で生まれてくる子にこの名前をつけるとしたら、ちょっとユニークですよね。でも、海外でよく見かける「ピーター」という名前は「ペテロ」から派生したものですから、つまり海外では「岩男」さんがけっこうたくさんいるということになります。
そのあたりの言葉づかいの違いなんかも、聖書を読む一つの楽しみだったりします。言葉づかいの違いって、そのまま文化の違いですから。
揺るがない絶対の岩盤に、人生を立てあげるのだ。と、そういう決意が「ピーター」という名前には含まれているのかもしれません。そう思えば「岩男」って素敵な名前ですね。
それではまた。
主にありて。MAROでした。

MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。