【哲学名言】断片から見た世界 トマス・アクィナスの言葉

哲学の巨匠はこの世から退場する時に、何を思うのか?

哲学のマエストロともいうべき人々は生涯を終えてこの世を去るとき、一体、どんなことを感じるものなのでしょうか。今回は、ヨーロッパ中世哲学の頂点に位置すると評される一大体系を作り上げた、トマス・アクィナスの言葉を取り上げてみることにしましょう。

「レギナルドゥス、私にはできない。私がこれまで書いたものはすべてわらくずのように見えるからだ。」

彼が死の三ヶ月ほど前に、友人のレギナルドゥスに言ったとされるこの言葉は、哲学者たちの間では、「哲学マスターとなると、ここまで行ってしまうものなのか……」との感慨を抱かせずにはいない名ゼリフとしてよく知られています。今回はトマスの人生の道のりをも簡潔に振り返りつつ、この言葉について考察を加えてみることにします。

ひたすらに勉強熱心なトマス・アクィナス

「学問の道を最初から最後まで、歩みぬいた人。」今から700年ほど前、1220年代の中ごろに生まれたとされるトマス・アクィナスのパブリック・イメージはといえば、とりあえずこれに尽きると言ってよいでしょう。生まれました、勉強しました、死にました、と言ってはあまりにもそっけなくなってしまいますが、彼の人生が実際にたどった道のりは、そのように要約するのにふさわしいほど「勉強した」に尽きています。伝記などを読んでみても、軒並み「トマスは、とにかくたくさん勉強しました。ここやあそこで教えたり、説教したりしました。すごい人でした。おわり」という感じです。人格的には気取ったところもなく、明朗で感じのよい人であったようですが……。

そんなトマスの学問への熱心ぶりを示す、有名なエピソードがあります。

ある時、トマスを学問の道から逸らすために刺客として送りこまれてきた美少女が、彼を誘惑しようとしたことがあったそうです。セクシーな身なりで武装したその美少女は彼を堕落させようとして、彼女なりのうっふん大作戦の限りを尽くしたそうです。若き日のトマス、大ピンチです!……が、なんとトマスは暖炉から燃える薪を取り出してきて、それをブンブン振り回して、その美少女を追い払ってしまったのだそうです。これなどは、その向学心のすさまじさによって、全ての男性諸氏を魂の底から震撼させずにはいないエピソードであるといえます(注:以前、別の場所でこのエピソードを紹介したところ、「あの、美少女に対して棒をブンブン振り回すっていうのはphiloさん、ひょっとして、これって比喩表現ってことなんですか……?」と妙にソワソワしながら質問してきた方がいましたが、そのような深読みをする必要はなかろうかと存じます)。

1273年の12月6日に、トマスは何を見たのか?

とにかく、問題のエピソードは正確な日付までわかっているのですが、1273年の12月6日、聖ニコラウスの祝日のミサの時に起こりました。このミサが行われている間に、五十代を迎えたばかりのトマスは、何かとてつもなく崇高なヴィジョンを見るか、体験するかしたらしいのです。というのも、このミサが終わった後のトマスは何かもう、まるで人生をすでに終えた人のようになってしまい、その後もほぼ何もしゃべらず、放心状態から抜け出ることができなくなってしまったからです。

おそらく、周りの人々は揃って「マジかよ、何てこった……」と思ったに違いありません。親友のレギナルドゥスが書きかけの『神学大全』を完成させようと持ちかけても、トマスはもう書こうとはしませんでした。レギナルドゥス、私にはできない。私がこれまでに書いてきたことはすべて、わらくずのように見えるからだ。

トマスは一体、何を見たのでしょうか。人々にはその答えが一切わからないまま、彼はその出来事が起こった三ヶ月後には、ぽっくり亡くなってしまいました。あっという間に天に召されて、そのまま昇っていってしまったわけです。話が常識からはるかにかけ離れているだけに、悲しいとか悲惨という雰囲気が漂っているわけでもない、非常に不思議なエピソードであるといえます。

結局、トマスのこのエピソードから学び取れるのはおそらく、この世で私たちが知ることが許されているのはあくまでも限られた領域のみである、ということに尽きるのではないでしょうか。哲学の面から言うならば、トマスは他の時代に生きていた歴代の哲学者たちと比べても、決してひけを取ることのない大家でした。その人にしてからが、自分の書いてきたことはすべて「わらくず」に過ぎなかったと言うのですから、天上の秘密の領域はおそらく、私たちの想像をはるかに超えて広がっているということなのでしょう。この地上での生活においては、散文的なものは絶え間なく押し寄せ、日々の流れは目まぐるしく過ぎ去ってゆきます。しかし、私たちの思いが及びさえもしない遥かなところに、その聖なること、天使たちでさえも足を踏み入れることを畏れる場所が果たして存在しないのかどうか、このことを決めるのは、私たち人間のなしうるところではないのかもしれません。

おわりに

結局、トマスが何を見たのかは最後までわからずじまいでしたが、彼が第3部第90問題第4項まで書き上げた『神学大全』はヨーロッパ中世が残した言葉の大聖堂として、今日でも読まれ続けています。とても人間が書いたものとは思えないほどに透明なヴィジョンにのっとって理路整然と書かれているので、上に紹介したエピソードも含めて、中世とはまことに不思議な時代であるなあ……と思わされます。

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