5月18日「いつまで、共におられようか」

なんと信仰のない時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。(マルコによる福音書9章19節)

発作に苦しむ子供の父親が弟子たちの所に来て、汚れた霊を追い出してほしいと願ったが、彼らはできなかった。山から降りて来て、事情を知った主イエスは、今日の聖句を語った。信仰のない時代、神が見失われた世界には、悪霊が力を振るう。今日、人の命を破壊するさまざまな問題は、人間の努力次第で解決される生易しいものではない。主イエスは「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことができないのだ」と言う。まさに、主は神を見失った世界に来て、私たちを信仰へと導く方である。

主イエスは癒(いや)しに先立って、父親と一対一で対話する。そして、父親が「おできになるなら、私どもを憐(あわ)れんでお助けください」と言うと、主は「『できれば」と言うか。信じる者には何でもできる」(23節)と言った。激しく迫る主の言葉に反射して、父親は「信じます。信仰のない私をお助けください」と叫んだ。信仰は、主イエスが近づき、語り、迫られる時、これに反射して魂が応えることである。父親は、もはや願いを叶えてもらう信仰ではなく、主の言葉に強く迫られて、「信じます」と告白した。「実に、信仰は聞くことにより、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まるのです」(ローマ10・17)。

父親は「信仰のない私をお助けください」と言った。私たちは本来、疑い、迷う不信仰な人間である。主イエスはそのような私たちに近づき、信じる者にしてくださるのである。父親が「信じます」と告白した時、子どもは悪霊から解き放たれた。主イエスの言葉に応えて「信じます」と告白し、「お助けください」と祈る時、主は私たちをあらゆる混乱から救い、神のご支配を現される。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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