平和の願いを誰に配達しますか? ドキュメンタリー映画「長崎の郵便配達」

映画「長崎の郵便配達」(監督と撮影:川瀬美香、8月5日全国ロードショー)は、長崎で郵便配達中に被爆した谷口稜曄(すみてる)さん(2017年に88歳で死去)と、谷口さんを取材した英国人ジャーナリストの足跡をたどるドキュメンタリー。米軍による広島、長崎への原爆投下から今年で77年。戦争を知らない世代が戦争体験をどのように継承していけるのか、体験を引き継ぐ世代に必見の作品だ。

谷口さんは、郵便配達の仕事中、爆心地から約1・8キロメートルの路上で被爆し、自転車ごと叩(たた)きつけられた。背中一面に大やけどを負い、1年9カ月もの間身動きもできず、病院のベッドでうつぶせのままで過ごし、退院できたのは、被爆から3年7カ月後だった。40歳を過ぎた頃、背中の火傷の治療を受ける自身の姿を写した映像の存在を知り、それ以後、被爆体験について積極的に語るようになる。「私の背中は見世物ではない。誰がこれをやったのか知ってほしい」と、「赤い背中」の写真を突きつけながら、生涯をかけて核兵器廃絶を世界に訴え続けた。

そんな谷口さんを取材し、1984年にノンフィクション小説『THE POSTMAN OF NAGASAKI』(日本語版は『ナガサキの郵便配達』)として出版したのが、元英空軍大佐で作家のピーター・タウンゼンドさん(95年に80歳で死去)だ。タウンゼンドさんは、映画「ローマの休日」のモチーフになったとされる人物で、82年に長崎を訪れた時に谷口さんと交流を深めた。映画では、タウンゼンドさんの娘で女優のイザベル・タウンゼンドさん(60)が、2018年の長崎で、父の著書と、遺品の中から見つけたボイスメモを頼りにその足跡をたどり、父と谷口さんの思いを紐解いていく。

イザベル・タウンゼンドさん

劇中、イザベルさんは、本をなぞり、 時に父のボイスメモに耳を傾けながら、谷口少年が毎日歩いた階段や神社、そして被爆した周辺などを訪ね歩く。爆心地から約500メートルのところに位置していた浦上天主堂(=カトリック浦上教会)にも訪れ、司祭から浦上の住人12000人のうち8450人が原爆で命を落とした話を聞き、被爆マリア像の姿に息を呑む。イザベルさんは市内を巡(めぐ)りながら、「ほんの一瞬で多くの命が奪われたなんて」と絶句し、「その影響は何世代も続いていく。ここで起こったことを理解しなければ」と自分に言い聞かせる。

川瀬監督は、谷口さんより出版についての相談を受け、ニューヨークでの講演を聞いたり、父の意志を受け継ぎたいと願うイザベルさんと出会ったりしたことで、映画の制作を決心した。一方イザベルさんは、1940年、英空軍の飛行隊長として、第二次世界大戦中の激戦「バトル・オブ・ブリテン」で英雄的活躍をした父が、なぜ原爆被爆者に耳を傾け、本を書いたのか知りたかったという。さらに、2015年に起きたパリ同時テロを目の当たりにし、なすすべがなく、恐怖と不安の中にいた時に川瀬監督と会ったことを明かす。

長崎の旅は、谷口さんと父の記憶をたどると同時に、イザベルさんの亡き父と出会う旅でもあった。谷口さんへの取材時に、父の通訳をしてくれた男性から、当時の父の話を聞き、思わず涙をこぼすシーンはとても美しい。それは、長崎のお盆の伝統行事の精霊流しで、谷口さん家族と一緒に船を曳(ひ)く姿と重なる。そこには、亡くなった人を一人でも多くの人が覚えていることは、遺族にとって大きな慰めになると確信しているイザベルさんがいるように思えた。

長崎の美しい風景とともに「戦争は常に無垢の人を傷つける。私はそれがはっきり分かった」と断言するイザベルさんの言葉が心に残る。自分のできることで平和の願いを伝えていく──終盤、子どもたちの劇を演出し終えたイザベルさんの清々しい表情に、大きな励ましをもらった気持ちになった。

021年製作/97分/日本
配給:ロングライド
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