【クリスチャンな日々】第29回 コロナ時代の「目標」の立て方 MARO

主の御名をあがめます。

あけましておめでとうございます。MAROです。年が明けてから一週間が経ちましたが、「おめでとう」というのはいい言葉ですから、15日くらいまでは言い続けたいと思います。ともあれ、今年もよろしくお願いいたします。

さて、お正月に「今年の目標」を立てる方も多いかと思います。厄介なウイルスのせいでなかなか目標も立てにくかったりもしますが、それでも何らかの目標を立てる方が多いかと思います。目標を立てるときはなるべくタイムスパンを短くするのが良いと先日、とある偉い人から聞きました。「今年の目標」と言うとぼんやりしてしまうので、それを達成するために逆算して「今月の目標」を立て、それを達成するための「今週の目標」を立て、さらにそれを達成するための「今日の目標」を立てる、と、ここまで細かくすると、大きな「今年の目標」も達成しやすいのだそうです。

たとえば減量なら、「1年で10kg痩せる!」という目標だとサボりがちですが、「1ヶ月に1kg」「1日に35g」「ということは1日240kcal消費すれば良い」と考えてゆけば「80分のウォーキング」「30分の水泳」「ごはんを茶碗一杯減らす」など、具体的な行動が見えてきます。

人間って、あんまり未来のことを言われてもピンと来ないものです。「毎日これをしたら100日後に100万円あげるよ」と言われても、日が経つにつれて「本当にもらえるのだろうか」と不安になったり「1日サボっても良いだろう」と思ったりしてしまいます。でも「毎日これをしたら毎日10000円あげるよ」と言われたら、そんな不安も生じませんし、サボりにくくもなります。
キリスト教が日本で広まりにくい理由って、実はそんなところにある気がしています。日本という国は世界で最も「死」から遠い国の一つです。平均寿命が世界一だということは若くして死ぬ人が少ないということで、そういう環境では「死」は「ずっと先のこと」であって「現実的な問題」ではありませんから、天国って言われても多くの人には「100日後の100万円」にしか思えません。もしかしたら「100年後の1億円」かもしれません。「本当に行けるのかよ」「そもそも本当にあるのかよ」とか「そんな先のことならまだ良いや」とか思ってしまうんです。

でも実はキリスト教の説く福音というのは、決して「100日後の100万円」ではなく、「毎日の1万円」なんです。福音の本質は「天国への行き方」ではなく、「今日の生き方」なんです。「いつか救われる」ではなく「今日すでに救われている」なんです。

ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。(マタイ6:34)

大切なのは毎日1万円を受け取るのに集中することです。100日後に100万円を受け取れるかどうか心配することではありません。どっちにしても100日後には100万円を手にしていると思えば結果は同じですけど、その100日間をどちらが幸せに過ごすかと考えれば1日1万円の方がずっと良くないですか?

今回は「今年の目標」から話を始めましたが、すみません、僕は実は毎年「今年の目標」を立てません。毎日「1日の目標」を立てるか、せいぜい日曜日に「今週の目標」を立てるだけにしています。というのは、あんまり先のことを考えると不安になってしまいますし、頭もたくさん使うからです。それに、先のことになればなるほど、予想通りにことが運ぶ可能性はどんどん低くなってしまいます。それで目標を変更することにすれば、そこでまた頭を使ってしまいます。僕は頭を使いすぎると熱を出してしまうので、そんなふうに「今年の目標」は神様に任せて省エネしているんです。

厄介なウイルスのせいで先の見えにくいこの時代、「目標が立たない」と嘆いている方はいませんか。

大丈夫です。鳥も魚も動物も「一年の目標」なんて立てません。「一年の目標」なんか立たなくたって、毎日の「今日の目標」さえ立てば、神様につくられたあらゆる生き物は十分に幸せになれるようにできているんです。ある程度の長いビジョンが見えるのは人間にだけ与えられた特権ですけど、見えなくたって嘆かなくても良いんです。頭の中のカレンダーを「ひめくりカレンダー」にしてしまいましょう。昨日も明日も見ずに今日だけを見る。少なくとも毎日少しずつでもそういう時間を持つと気が楽になります。

その「今日の目標」だって、大したものじゃなくて良いんです。たとえば僕の「今日の目標」は「夕食に麻婆豆腐を作る」です。これだけだって、ここから逆算すれば、18時には仕事を終わらせて買い物に行かなきゃいけないから、16時には原稿に取り掛からなきゃいけないし、そのためにはそれまでにこの仕事を終わらせなきゃいけないから、午前中に銀行の用事は済ませておかなくちゃいけない・・・と、「今やること」が朝から明確に見えてくるものです。

・・・しかし、今すでに20時です。買い物はさっき仕事ついでに済ませましたが、麻婆豆腐ができあがるのは21時になりそうです。目標なんてそんなもの。大切ですけど縛られてはいけません。と、いうわけでお腹がすいたので麻婆豆腐を作ります。それではまたいずれ。

MAROでした。

主にありて。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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