宿屋さんは何処?|クリスマスに巻き込まれた宿屋さん【ルーテルアワー・聖書講座】

ルーテルアワー・聖書講座 

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「宿屋さんは?」と、キリスト降誕劇で宿屋役の子どもたちが聞いてきた。卒園記念の聖書を少し早めに贈呈し、これから行う降誕劇は聖書に書いてあると子どもたちに教えたからである。保育園で行われる降誕劇は、マタイとルカの福音書の記事が基になっている。マリアとヨセフ、羊飼い、天使や星、博士に関しては、直接その役を聖書から見いだせる。しかしながら出産直前の夫婦を泊めてくれた宿屋さんについては直接記載されていない。宿屋さんがいただろうと想像できるのは、「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」(ルカ2:6〜7)という箇所であり、そのことを子どもたちに伝えたが、さて「宿屋さん」と記されていないことをどのように受け止めてくれただろうか。

事件は22年前、赴任して最初のクリスマス、子どもたちにクレッシュ(生誕場面再現の家畜小屋と登場する者の人形)を用いて説明していた時に、笑顔の子どもたちから「宿屋さんは何処?」と聞かれて、狼狽(ろうばい)してしまうということがあった。大抵のクレッシュには、「宿屋さん」は用意されていないからである。どのように切り抜けたかは覚えていないが、それ以後、教会のクレッシュには別のセットの「マリヤとヨセフ」を宿屋さんに仕立てて紹介している。

聖書に直接書かれていない宿屋さんだが、意図せず神の出来事に巻き込まれていく唯一の存在である。登録のために帰郷した人々でごったがえす街、宿を求める人は後を絶たずクタクタの中、身重の女性のために何とか場所を確保する、生まれる赤ん坊が「神の子」だとも知らずに。そこに来た羊飼いたちや見慣れぬ容姿の博士たちが、生まれたばかりの飼い葉桶に寝かされた赤ん坊を拝んでいるのを目にして、宿屋さんは何を思っただろうか。私たちには何も分からないし、神の出来事に巻き込まれているということすら気付かずにいただろう。その意味では、降誕の日の宿屋さんこそ、私たち普通のキリスト者の日常の姿に重なる、隣人を愛し仕えることは神の出来事のひとつに他ならないからだ。

ちなみに、博士たちから新しい王の居場所を知ろうと企んだヘロデ王は、保育園での降誕劇には登場しない、「ヘロデ王をやりたい」という子どもは恐らくいないからだろう。「私は宿屋さん」と誇らしくその役を担ってくれる降誕劇まで、あと少し。

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