神戸国際支縁機構、5度目のウクライナ訪問で神学校司祭と対談 神戸で平和集会も開催

世界各地の被災者や難民、孤児の支援を行う神戸国際支縁機構(神戸市垂水区、岩村義雄代表)は6月11日~24日、ポーランド国ワルシャワ経由でロシアによる軍事侵攻が続くウクライナに入り、首都キーウ(キエフ)をはじめ、ブチャ、イルピン、ザポリージャなどを訪問した。また、帰国後28日には、サンキタ広場(神戸市中央区)で、ウクライナ避難民ら30人と集会を開き、地域の人たちに平和の大切さを呼びかけた。

同機構がウクライナへ訪問するのは5度目。今回の訪問の大きな目的は戦争により孤児となった子どもたちが暮らせる施設を整備するためだ。

6月6日には、南部ヘルソン州のドニプロ川にある水力発電所のカホウカ・ダムが破壊され、大規模な洪水が発生した。下流での洪水被害や上流での渇水の深刻さは、ロシア・ウクライナ戦争の紛争の報道によって真相が伝わっていない。渇水によりドニプロ川の貯水池は干上り、漁で生計を立てているウスチェタリフカ村に甚大な被害を及ぼしている。滞在中、同村村長のアレキサンダーさん(60歳)は、「一匹も魚が獲れなくなってしまった」と窮状を訴え、村の人口の3分の1が移転を余儀なくされている事態だという。ダムが自然破壊につながることを危惧する同機構の岩村代表は、「砂防ダム決壊や放流での水没被害の例は日本でも珍しくないが、ダム上流の枯渇で人々が生活できなくなるケースははじめて遭遇した」と話す。

岩村義雄氏(=写真左)とミトロファン・ボズコ司祭(=写真右)。(写真:神戸国際支縁機構)

岩村代表は神戸国際キリスト教会の牧師でもある。今回の訪問では初めてウクライナのロシア正教の総本山であるキエフ・ペチェールシク大修道院(ウクライナ語でキイェヴォ・ペチェールスカ・ラヴラ=洞窟大修道院)にも足を運んだ。ペチェルスク地区というキーウの一番古い地区にある同修道院は、90ヘクタールという広大な敷地を持ち、高台に建っているため全市を見渡すことができる。1990年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。岩村代表は、その中にある神学校の教育長を務めるミトロファン・ボズコ司祭と面会し、対談の時をもった。

ロシア正教会は、ソビエト連邦(ソ連)の最高指導者ヨシフ・スターリンが実行した大粛清と呼ばれる政治弾圧により1937年以降、教会および神学校の閉鎖、聖職者のシベリア強制送還など試練に見舞われた。しかし、そういった困難な状況にあっても正教会の聖職者や信者は、戦争による負傷者のケアなどに一丸となってあたり、その姿は、戦争による破壊や苦しみ、愛する人の喪失によって疲弊したソ連の人々の心を癒し、スターリンの時代にあっても信仰の灯は決して消えることはなかった。神学校は1945年に当時のキエフ教区に司牧神学コースで聖職者を訓練する教育課程が認められ、翌年7月9日から神学校が再開されたという。

キエフ・ペチェールシク大修道院。(写真:神戸国際支縁機構)

ミトロファン司祭と約1時間,宗教と国家について語り合った岩村代表は、その時のことを次のように振り返る。

ミトロファン司祭は、戦争で人を殺す罪深さについて率直に語られ、その勇気に心打たれました。なぜなら厳しい修道規則(ウスタフ)があるので、たとえ戦時下においても聖典の教えである「汝、殺すなかれ」と唱えると思ったからです。しかし、司祭は、自国の領土で敵軍の兵士に殺されたり、レイプされたり、拷問を受けたりする事態に、司祭としての建前でなく、本音で話してくださいました。こうした徳がある聖職者が第一線で教育するウクライナの正教会に、祝福がありますよう祈らずにはいられません。

神戸市で行われた平和集会で祈るウクライナの人たち。(写真:神戸国際支縁機構)

6月28日に同機構主催で行われたウクライナ避難民の平和集会は、ロシア侵攻から1年となる今年2月に行われた追悼集会に続き2回目の開催となる。会場となったサンキタ広場には、女性を中心に30人が集まった。ウクライナ国旗と同色の青と黄色の服を身にまとい、「日本ありがとう ウクライナに平和を」と書かれた横断幕を掲げ、ウクライナの歌やスピーチをとおして平和の祈りをささげた。同機構では寄付も呼びかけ、8万円余りが集まった。

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