第51回キリスト教功労者に船戸良隆さん、伝道者としてアジアの子どもの教育に尽力

第51回キリスト教功労者顕彰式(日本キリスト教文化協会主催)が19日、教文館ウェンライトホール(東京都千代田区)で開催された。日本基督教団・勝沼教会牧師で、NPO法人アジアキリスト教教育基金顧問の船戸良隆(ふなと・よしたか)さんが顕彰され、約50人が集まり、その喜びを分かち合った。

キリスト教功労者顕彰式は、キリスト教文化に関わる教育・福祉・医療・社会事業・文化活動等の分野で貢献した人を顕彰することによって、更なる活動と研究を促し、キリスト教文化をとおして、隣人を愛し、思いやりのある文化の醸成を図ることを目的に毎年開催されている。選考の対象となるのは、キリスト教関係の事業や思想の普及に功労のあった75歳以上の男女。例年ならば、2~3人を選考するが、今回は新型コロナ・ウイルス感染防止による会場の都合もあり、1人の顕彰となった。

船戸良隆さん=19日、教文館ウェンライトホール(東京都千代田区)で。

船戸さんは、1936年に東京に生まれた。高校2年の時に米国オレゴン州から来た宣教師によって洗礼を受けた。その後、武藤富男(むとう・とみお)牧師の指導を受け、献身を決意し、東京神学大学に入学。全国のキリスト者学生らと「筑豊の子どもを守る会」を結成し、大学院1年の時には1年間休学して炭鉱に住み込み、子どもたちの教育や生活を支援した。その後、65年に修士課程を修了し、2年間日本基督教団・聖和教会の伝道師として牧会に従事。

その後、69年に海外協力事業団よりベトナム、サイゴン大学日本研究講座講師、76年には国際交流基金よりタイ国の2大学の日本研究講座講師として派遣される。81年、日本キリスト教海外医療協力会海外担当主事、後に総主事に就任。90年、アジアキリスト教教育基金専務理事・事務局長に、2000年国際協力NGOセンター(JANIC)理事長に就任。現職。

顕彰式は、礼拝形式で執り行われ、ルカによる福音書10章33~37、41~42節の朗読、祈祷の後、日本キリスト教文化協会の理事長・近藤勝彦さんが挨拶(あいさつ)に立った。船戸さんが日本におけるNPO、NGOの活動の草分け的な存在として活躍したことを伝え、朗読した聖書の言葉を紐解きながら次のように語った。

「船戸先生は、アジアの子どもの教育のために生涯を捧げてこられました。そこには、『行って、あなたも同じようにしなさい』『必要なことはただ一つだけである』とおっしゃる主の言葉に従い続けた、伝道者としての姿があります。これは決して不思議ではないことを私たちは知るべきです。このような生き方が、日本人の中に、私たちの親しい交わりの中に現れたことを神様に感謝し、先生に続く若い世代の人たち出てくるように心からお祈りしたい」

日本キリスト教文化協会の理事長・近藤勝彦さん(=写真右)より表彰状ならびに副賞が贈られた。

顕彰の記念品が贈呈された後、船戸さんが謝辞を述べた。生涯の師として尊敬する隅谷三喜男(すみや・みきお)さんが、叙勲は即座に断りながらも、2001年にキリスト教功労者に顕彰された時には満面の笑みをたたえてとても喜ばれたというエピソードを披露。「私は隅谷先生からいろいろなことを学びました」と振り返り、その中でも最も心に残ることとして、「・・・どんなことがあろうと十字架から顔を背けることのない勇気を、私に与えて下さい!そして、愛する祖国の危機に際しては、重い十字架を背負うことのできる者にして下さい」という隅谷さんが16歳の時に書いた英文の詩を紹介した。

「この詩は、先生の自伝『激動の時代に生きる』(岩波書店、2000年)に出てくるのですが、イエス・キリストに救われたことは、十字架を仰ぐということと、十字架を背負うことの2つの面があると思います。これからも先生の教えに従っていきたい。私も84歳になりましたが、あと20年くらいは働けるかなと思っています。実は最近、夢に若い素敵な女性が出てきて、この人とぜひ友達になりたいと思っているところです」

会場を温かい笑いに包んだ後、このように締めくくった。

「私は主によって、あと何年生かされるかわかりませんが、その間、隅谷先生の教えに従って、キリストのからだとして歩んでいきたい。本日はお集まりいただき心から感謝申し上げます」

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